
中国共産党政権に歯に衣(きぬ)着せぬ批判の紙つぶてを投げ続けた香港紙・蘋果日報(リンゴ日報)創業者の黎智英氏に対し、香港の裁判所は国家安全維持法(国安法)違反など3件の罪で禁錮20年の判決を下した。
香港の「報道の自由」がとどめを刺された格好だ。
政府主張代弁の香港各紙
往年の香港の言論機関は秘密主義の北京の門をこじ開け、共産党政権下での中国の内実の一端を中国国民を含め世界に伝えた。中国建国の父、毛沢東による大増産計画「大躍進」の悲惨な実態を世界が知ったのも、香港に逃げた中国人難民を通してだった。
ところが判決翌日の香港各紙の社説は、中国・香港政府の主張を代弁しているだけだ。老舗の明報は「報道の自由は絶対ではない」とした上で「黎氏が傘下のメディアを政治闘争の道具に利用し、メディアが順守すべき境界を越えた」ことを問題視した。
有力紙サウスチャイナ・モーニング・ポストも「香港の法の支配の強靭(きょうじん)さ」を評価した。これでは「共産党の舌」との位置付けでしかない中国メディアと変わるところがない。
ビクトリアピークから眺める香港の夜景が「100万㌦の夜景」と言われたのは、庶民の家屋から出る一つ一つの蛍光灯の光の集合体が、ダイヤモンドのように小さいながらも鋭い輝きを放っていたからだ。
だが今は、高層ビル群の光とギラギラしたネオンばかりが目立つ。光量はボリュームアップしているが、夜市の玩具売り場のようで、これでは「1㌣の夜景」でしかない。
それでも香港には、魂の光を燦然(さんぜん)と輝かせている黎氏がいる。中国・広州生まれの黎氏は12歳の時、1人で香港に渡った。しかし、波止場で係官の厳格なチェックを見るや、パンツの中に隠していた小さな金塊をその場で捨てた。
「お金のために危険を冒してはならない。自由に勝るものはない」という信念は、生涯変わることはなかった。1989年の天安門事件で民主化運動を支援し、社会の木鐸(ぼくたく)として中国批判を展開した蘋果日報を創刊したのも、そうした信念があればこそだ。
このような自由の闘士を香港警察は別件逮捕で拘束し、裁判所は国安法を適用して20年の禁錮刑を科した。78歳の黎氏にしてみれば、獄死を意味する過酷なものだ。
弾圧を受ける黎氏を支えているのは信仰の力だ。獄中の黎氏を訪ねた台湾中央研究院の陳健民氏が「小説でも持ってこようか」と提案すると、黎氏は「聖書を夜、読むので必要ない」と答えたという。
さらに「最高の食べ物も最高の服もないが、魂に集中することができる」とさえ言っている。妻に導かれカトリックの信仰を持つようになった黎氏は、獄中にあったとしてもキリスト者として生きている。
教皇のメッセージを期待
日本をはじめとする民主主義諸国は「良心の囚人」黎氏の即時釈放要求と亡命受け入れに動くべきだ。まずはローマ教皇のメッセージを期待したい。






