
香港の議会である立法会(90議席)の選挙が実施され、親中派が全議席を独占した。立法会が親中派一色に染まったのは1997年の中国返還後初めてとなる。立候補者は政府の事前審査で「愛国者」と認められる必要があった。香港を操る中国とすれば、誰が当選しても親中派という出来レースだった。
前回と同様の低投票率
住民の代表者を選ぶ選挙は、人々の生活や社会を良くするため、さまざまな意見や政策を持った複数の候補者の中から選ぶことに意味がある。それが今回の選挙は実質、一択となったようなものだった。
香港政府は選挙の正統性を得るため、投票率アップに躍起となった。李家超行政長官は公務員に公開書簡を送り、選挙を支持して投票の義務を果たすよう指示を出し、公務員は選挙宣伝キャンペーンに家族ぐるみで動員された。そして公務員が職務を離れて投票する場合、タクシー代も支給した。また一般企業に対しても、投票のための半日の有給休暇付与を促しもした。
それでも投票率は31・9%と30・2%の前回と同様の低率にとどまった。2016年の投票率(58%)と比べると、ほぼ半減した格好だ。当時は民主派議員らも出馬し、香港の未来を懸けた緊迫した選挙戦が演じられ市民を巻き込んだ背景がある。
その点、今回の選挙は親中派議会への信任投票みたいなものだ。言論や集会の自由が実質的に奪われている市民とすれば、抵抗手段は白票を投じるか投票所に行かないかしかなかった。
香港が1997年7月1日、英国から中国に引き渡される際、中国は外交・防衛を除く分野での高度な自治を保障する「一国二制度」を国際公約した。その香港返還から約束された半世紀後どころか四半世紀後に、一国二制度は反故(ほご)にされ一国一制度となった経緯がある。
香港の自由の火を吹き消したのは、5年前に制定施行された香港国家安全維持法(国安法)だった。これをもって香港の一国二制度は形骸化され自由は死んだ。国安法は「一国二制度の貫徹」や「高度自治方針」を謳(うた)ってはいるものの、実際は国家分裂罪や国家転覆扇動罪などを設けて中国共産党批判を封印する「治安維持法」でしかない。
結局、民主活動家は一斉逮捕され、報奨金を撒(ま)き餌(え)に民主派勢力をあぶり出す密告社会が出現。自由な言論は封印された。中国の真実を書いてきたリンゴ日報は廃刊に追い込まれ、社主だった黎智英(ジミー・ライ)氏は未(いま)だ獄中のままだ。
ウォール・ストリート・ジャーナルなど、大手メディアも取材の自由がなくなった香港から去って行った。さらに国際金融機関や証券会社、ファンドなども、香港からシンガポールやドバイなどへ移転した。
台湾住民の大きな教訓
中国は自国の強権統治の手法を香港に持ち込むことで、英国の植民地だった香港の完全奪還を果たしたつもりかもしれないが、金の卵を産む鶏を絞め殺して何の意味があるのか。
とりわけ中国が香港でさらけ出した一国二制度の嘘(うそ)と偽善は、台湾住民にとって大きな教訓となっている。






