トップオピニオン社説終戦から80年 御聖断で守られた命と国柄【社説】

終戦から80年 御聖断で守られた命と国柄【社説】

先の大戦の終結から80年を迎えた。この間の平和と今日の繁栄は、300万同胞の尊い犠牲の上にある。

そして何より、昭和天皇のポツダム宣言受諾の御聖断にその出発点があったことを忘れてはならない。

開かれた復興への道

東京はじめ全国主要都市が米軍の空襲によって壊滅し、広島と長崎に原爆が投下され、戦いに勝ち目はない中、ポツダム宣言の受諾を巡って重臣らの意見は割れた。陸軍を中心に本土決戦も叫ばれる中、昭和天皇は、これ以上国民を犠牲にすることはできないと、御自身の命を投げ出す形で宣言受諾の御聖断を下された。

その御心は終戦に際し詠まれた四つの御製の一つ「身はいかになるともいくさとどめけりただたふれゆく民をおもひて」に表れている。

昭和天皇は次の御製も詠まれている。「国がらをただ守らんといばら道すすみゆくともいくさとめけり」

ポツダム宣言には、昭和天皇の身柄への保障などはない。御自身の命を顧みず、国民の命と日本の国柄を守るために宣言を受諾されたのだ。戦後日本の奇跡的復興はここから開かれたのである。

戦後80年を記念して、新聞、テレビ、出版など大戦を回顧する企画が多く見られる。戦争の悲惨さを強調し、戦争への流れを止めることのできなかった軍人や政治家ら国家の指導者を批判するものが相変わらず多い。

もちろん戦争体験者が年々少なくなる中で、その体験を風化させないことは重要だ。歴史の事実をしっかりと後世に伝えていくのは今生きているわれわれの世代の責任である。しかしただ戦争の悲惨さを伝えれば、それで平和が守られるというマスコミの安易な考え方は、却(かえ)って平和を危うくするものだ。

ロシアによるウクライナ侵攻のような侵略戦争が現実に起きているにもかかわらず、反戦を唱えれば平和が保たれるという空想的平和主義がいまだに絶えない。根本的には、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と前文で謳(うた)う憲法に原因があるが、マスコミの建前主義にも大きな問題がある。

戦争を止められなかったかつての国家指導者を批判することは簡単だ。しかし、全ては後知恵にすぎない。もし自分がその当事者だったら、どうだっただろうという実存的な考察が欠けている。

それよりは戦後80年の日本人の歩みを改めて振り返り検証する必要がある。戦後のGHQ(連合国軍総司令部)による占領改革は、民主化を進める一方で、日本の伝統的な価値を否定し精神的な武装解除を狙うものでもあった。

戦後レジームから脱却を

占領時代に起因する戦後レジームは今も日本を呪縛し続けている。占領政策の光と影の検証は、戦争への道を振り返る以上に重要だ。

終戦から100年に向けた今後の20年は、戦後レジームからの完全なる脱却を成し遂げる20年にしなければならない。

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