香港のビクトリアピーク(太平山)から眺める「100万㌦の夜景」は、かつては庶民の家屋から出る一つ一つの蛍光灯の光の集合体が、ダイヤモンドのように鋭い輝きを放っていた。蛍光灯から発した小さな光は、家族の団らんであったり勉強に励む受験生であったりと人々の生活を彷彿(ほうふつ)とさせた。
「一国二制度」が形骸化
今の香港は高層ビル群の光とギラギラしたネオンばかりが目立つ。LEDライトを多用した光量こそボリュームアップしてはいるものの、魂を打つことがない。自由の火が消えた香港を象徴する「1㌣の夜景」になることを危惧する。
香港の自由の火を吹き消したのは、5年前に制定された香港国家安全維持法(国安法)だった。国安法は2019年に香港で本格化した民主化運動を押さえ込むため、中国の習近平政権が香港政府の頭越しに導入を決定。条文が事前に公開されないまま、20年6月30日に公布と同時に施行された。
国安法は香港の法律に優先されると明記されている。これをもって香港の「一国二制度」は形骸化され自由は死んだ。
国安法は、国家分裂罪や国家転覆扇動罪などで中国共産党批判を封印する治安維持法だ。中国は香港について、1997年7月1日に英国から引き渡される際、外交・防衛を除く分野での高度な自治を半世紀にわたって保障する一国二制度を国際公約した。しかし半世紀どころか四半世紀も経(た)たないうちに、一国二制度は反故(ほご)にされ一国一制度を強いたのだ。
民主活動家は一斉逮捕され、報奨金を撒(ま)き餌に民主派勢力をあぶり出す密告社会が出現した。国安法によって猛威を振るう香港版文革は社会を分断し地域の活力を削(そ)ぎ落としている。
何より懸念されるのは、保身のため人々は口をつぐみ、治安機関の顔色をうかがうような自己検閲の生き方を強いられていることだ。言いたいことを主張できず、思っていることとは別の表現をしないと生きていけない社会というのは、本心をマスクで隠した仮面舞踏会のようで、人々はそれぞれ与えられた役割を演じているにすぎない。
ただ、この舞台には奈落に通じる穴が開いており、落ちてしまえば元の生活は保障されない。こうした「恐怖による統治」は社会全体の停滞を招くことになりかねない。
恣意的な取り締まり強化
さらに昨年3月には、香港でスパイ行為などを取り締まる国家安全条例が施行された。この国安条例は、国安法を補完して抜け穴をふさぐものだ。スパイ行為のほか、国家の秘密の窃取、反乱の扇動、国家の安全を脅かす外国勢力による干渉などを取り締まりの対象とする。ただ秘密の範囲は幅広く、スパイ行為も含め摘発要件の恣意(しい)的解釈が可能で当局は事実上、フリーハンドだ。
中国では2023年に改正反スパイ法が施行された。この法律もスパイ行為に関して恣意的に運用され、取り締まりが強化されている。
「香港の中国化」が着々と進む中で、金融センターとしての香港の地位も危ぶまれる。