トップ国内沖縄沖縄慰霊の日 被害者視点を克服したい【社説】

沖縄慰霊の日 被害者視点を克服したい【社説】

先の大戦末期の沖縄戦が事実上終結して23日で80年になる。

米軍は1945年3月に慶良間諸島、4月に沖縄本島に上陸した。「鉄の暴風」と称された連合国軍による攻撃は苛烈を極め、那覇市の首里城に司令部を置いていた陸軍守備隊は5月、本島南部に撤退。6月23日、牛島満司令官(中将)が糸満市摩文仁の丘で自決し、日本軍の組織的戦闘が終結した。民間人約9万4000人、米軍人1万2520人を含む約20万人の戦没者の御霊に哀悼の誠を捧(ささ)げたい。

高まる沖縄の重要性

終戦とともに「アメリカ世(ゆー)」と呼ばれた米軍統治が始まった。52年4月にサンフランシスコ講和条約が発効して日本本土は主権を回復したが、沖縄は米施政下に置かれた。米軍は沖縄を「太平洋の要石」と位置付け、米軍施設を集中させた。65年8月には、当時の佐藤栄作首相が現職首相では戦後初めて沖縄を訪問。日本復帰の条件を巡り激しい闘争が行われたが、住民の熱意が国を動かし、沖縄は72年5月に復帰した。

復帰後、地政学的な理由から沖縄の重要性は高まっている。台湾海峡や南西地域での中国軍の活動常態化を踏まえ、政府は沖縄の自衛隊を増強する「南西シフト」を加速している。左派勢力は、沖縄への基地集中が本土と沖縄の溝をつくっているというが、的外れの批判だ。安全保障上、最も重要な地域であるという認識の下、沖縄の振興を継続・強化していけばよい。

一方、慰霊の日には歴史認識を巡る論争が再燃する。地元メディアは、旧日本軍が住民を抑圧し、軍による自決命令があったかのように報じ、本土防衛の「捨て石」などと自虐的な歴史観で語られることも多い。沖縄県主催の「沖縄全戦没者追悼式」では、来賓あいさつする首相や衆参議長を含めて、判を押したように沖縄戦の惨禍を振り返り、二度と戦争を起こしてはいけないと力を込めている。

果たして沖縄戦の評価は、被害者だけの視点で良いのか。西田昌司参院議員が「ひめゆりの塔」の資料館展示について「偏向」と発言したことで、沖縄は抗議一色となった。西田氏は謝罪してはいるが、自らの歴史観は変えていない。

元陸自西部方面総監の本松敬史氏は今年5月、沖縄の復帰を祝う集会で沖縄県平和祈念資料館と鹿児島県の知覧特攻平和会館の違いを説明した。両者は共に「戦争の史実を後世に正しく伝え、恒久平和を祈念することを目的」としているが、メッセージの出し方は大きく異なる。知覧では軍人の視点から今の平和や自由があるのは命を懸けて国のために戦った特攻隊員のおかげだと顕彰しているが、沖縄の資料館は一般住民の証言を基に戦争責任や沖縄戦の悲惨さ、平和の尊さに重点を置く。

本土との対立に終止符を

歴史認識を巡っていつまでも沖縄と本土が対立すべきではない。時代は変わり、テレビや新聞の一方的な報道を鵜呑(うの)みにする県民・国民は減っている。平和をどう実現するか、軍事力や核兵器の否定ばかりではなく、国際情勢に目を向けつつ積極的な議論をすべき段階に入っていることを認識する必要がある。

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