
プロ野球巨人軍の選手、監督として輝かしい業績を残した「ミスタープロ野球」長嶋茂雄氏が亡くなった。寂しさの中で出てくるのは「長嶋さん、ありがとう」の言葉である。
チームへの愛と忠誠心
長嶋氏は単なるスター選手にとどまらない、時代のヒーローであり、アイコンであった。長嶋氏らの活躍で巨人軍がV9を達成したのは日本の高度成長期と重なる。グラウンドで見せた華麗なプレー、明るい人柄、「燃える男」の異名に象徴される熱血精神。それらは、まさに明るい未来に向かって国民が頑張って生きた戦後高度成長期の精神を体現するものだった。
長嶋氏は数々の名言を残したが、中でも現役引退セレモニーでの「わが巨人軍は永久に不滅です」が強い印象を残した。長嶋氏の輝かしい足跡は巨人軍抜きには考えられないとしても、不世出の大選手が最後に語ったのは、自分よりもチームの不滅だった。
この言葉が人々の心に響いたのは、抜群の成績を残したスター選手が自分のことを横に置いて所属球団への愛を表明したことにあったと思われる。
このような組織への愛と忠誠心が高度成長期の日本の企業を育て、それが経済大国の基盤となったことは否定できない。長嶋氏はプロ野球の中で、それを実践したのである。
一方、長嶋氏は引退後も、日本スポーツ界を代表する存在として選手たちの精神的支えであり続けた。長嶋氏はスポーツ振興が国民に大きな喜びを与え、元気づけるとの認識を持っていた。そしてスポーツが国家の活力と繁栄の源になるとの信念があった。それは、敗戦後の困難な時代と経済大国としての地位を確立した高度成長期の経験があったからに違いない。
選手として首位打者6回、本塁打王2回、打点王5回、監督としてリーグ優勝5回、日本一2回と数々の記録を残した。しかしそれ以上に長嶋氏ほど人々の記憶に残り、国民から愛されたスポーツ選手はいない。
しばしば対比される「ON砲」の王貞治氏が求道者的であるのに対し、長嶋氏はエンターテイナーだった。チャンスで抜群に勝負強かったこと、昭和天皇を迎えての初の天覧試合でサヨナラ本塁打を打ってのけるのも、実力プラス、プロとしてファンを喜ばせたいという気持ちが強かったからだ。
スターの役割を強く自覚
長嶋氏はその打棒で期待に応えたが、三振してもファンを魅了した。激しいスイングでヘルメットが飛んでいくのも実は一種のファンサービスであった。「僕はヘルメットの飛ばし方まで研究したんですよ。……三振しても何か光るものをお客さんに与えにゃならんと思って」と明かしている。
スポーツを通してファンや国民に希望や感動を与えたいという思いは、スター、ヒーローが果たす特別な役割を強く自覚するところからきたのだろう。そのために松井秀喜、イチロー、そして大谷翔平ら日本を代表するスター選手を励まし活躍を喜んだ。これからも同様に日本スポーツの発展を見守ってくれるに違いない。