トップオピニオン社説増上寺聖典 泰平が残した東アジア至宝【社説】

増上寺聖典 泰平が残した東アジア至宝【社説】

三種の仏教聖典叢書(そうしょ)が「世界の記憶」に登録され、記者会見する増上寺の小林正道執事長(左)と浄土宗の川中光教宗務総長= 18 日午前、東京都港区

国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」に「増上寺が所蔵する三種の仏教聖典叢書(そうしょ)」が登録された。

徳川家康によって収集され、300年の泰平の世を経て現在に至り、その世界的な価値が認められた。

「世界の記憶」に登録

登録されたのは、12~13世紀に中国の南宋・元、朝鮮半島の高麗の各時代に制作された3種類の仏教典。南宋の「思渓版大蔵経」、元の「普寧寺版大蔵経」、高麗の「高麗版大蔵経」だ。大蔵経は仏教の教えの全てを記した経典で「一切経」と言われる。

総数約1万2000点に及ぶ当時の最高の技術で制作された版木による木版の叢書である。東アジアの仏教文化、漢字と印刷文化の至宝として国が重要文化財に指定している。仏教学の基盤形成に大きく貢献したばかりでなく、歴史学や言語学など多分野で重要な役割を果たしている。

多くの大蔵経が王朝の交代や戦乱により散逸する中で、三種の大蔵経がほぼ完全な形で一堂に会すること自体、稀有(けう)なことという。明治の思想家、岡倉天心が「日本はアジア文明の博物館になっている。いや博物館以上のものである」と喝破した通りの姿を残している。

天心の言葉は、しばしば正倉院の御物(ぎょぶつ)や仏像などを例に語られるが、今回の登録で、一般にはあまり馴染(なじ)みのない仏教典の収集においても示されたこととなった。

家康は、各寺が所蔵していた大蔵経を領地などと引き換えにもらい受け、徳川家の菩提寺で浄土宗総本山の増上寺にその維持費を添えて寄進した。これはお家の安泰、幕府の安泰を祈願するためだけではなかった。専門家は、日本製の新たな大蔵経を校訂し出版したいという願いがあったと指摘している。

登録の日が家康の命日であったことも偶然とは思われない。家康が国の安寧のために宗教的な基礎の重要性に着眼し、将来を見据えて大蔵経を収集したことの意義の大きさを改めて知らされる。その願いは江戸時代には実現しなかったが、明治時代以降、校訂、校合作業が進み、この増上寺の大蔵経を元にした『大正新修大蔵経』が昭和9年に完成する。

さらに浄土宗開宗850年の記念事業の一つとして、三大蔵経のデジタルアーカイブの作成を進めウェブ公開も始めた。これによって、誰でも貴重な資料を閲覧できるようになった。このことが「世界の記憶」への登録を後押しすることになった。

登録を受け、増上寺の小林正道執事長は、幕末の混乱や関東大震災、東京大空襲を乗り越えて伝承、保管されたことに触れ、「まさに平和と安穏の象徴だ」と強調。さらに「未来の世代に、仏教の教えを分かりやすく発信するにはどうしたらいいか真剣に考えたい」と語った。

原爆資料は戦略再検討を

一方、広島の原子爆弾による被害を報道カメラマンや市民らが撮影した写真や動画などから成る「広島原爆の視覚的資料―1945年の写真と映像」は登録されなかった。

登録に向け戦略を再検討する必要がある。

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