トップオピニオン社説硫黄島御訪問 両陛下と共に「慰霊の旅」を【社説】

硫黄島御訪問 両陛下と共に「慰霊の旅」を【社説】

天皇、皇后両陛下は7日、戦後80年に当たっての戦没者慰霊のため、太平洋戦争末期の激戦地、東京都小笠原村硫黄島を訪問された。写真は「天山慰霊碑」で献花される両陛下=7日午後、東京都小笠原村(代表者撮影)

先の大戦終結から80年。天皇、皇后両陛下の「慰霊の旅」が始まった。

玉砕の島、小笠原諸島の硫黄島を訪問され鎮魂の祈りを捧げられた両陛下と共に戦後の平和の礎となった先人たちの犠牲に改めて思いを致したい。

上皇陛下から継承される

東京の南約1250㌔に位置する硫黄島は、太平洋における本土防衛の最前線となった。大戦末期の昭和20年2月19日に11万人を超える米軍が上陸。米軍は当初5日間で占領する予定だったが、栗林忠道中将率いる日本軍守備隊は、水や食料が極度に不足する中、全長18㌔の地下壕を構築。本土からの支援もない中、頑強に抵抗を続けた。

36日間の戦闘で日本軍は全滅し、約2万1900人が戦死。一方、米軍は6821人が戦死し、戦傷者2万1865人と合わせると2万8686人となり、米軍の死傷者が日本軍を上回る稀な戦いとなった。

硫黄島は米軍が長距離爆撃機B29の基地を置くマリアナ諸島と日本本土との中間点に位置する。硫黄島が簡単に落ちていれば、本土空襲の犠牲者はさらに拡大していたと戦史家は指摘している。この数字は、戦いの苛烈さを物語るだけでなく、「防人」の使命を最後まで完遂するために日本軍守備隊がいかに頑強かつ効果的に防戦したかを物語るものだ。

祖国を思い軍人の本分に徹した先人たちの犠牲の上に、今日の平和があることを忘れてはならない。陛下が戦後80年に際しての慰霊の旅の最初に硫黄島を訪問されたことに深い意味合いを感じる。

両陛下は日本人戦没者のための「天山慰霊碑」を訪れ献花拝礼され、軍属として徴用された島民82人を慰霊する「硫黄島島民平和祈念墓地公園」、日米双方の戦没者を慰霊する「鎮魂の丘」に足を運び拝礼された。両陛下は火山島の地熱に耐えながら奮戦した日本軍将兵の苦難を偲びながら、柄杓で水を掬い献水された。

硫黄島で戦死した日本兵の遺骨は、厚生労働省によると今年2月末の時点で約1万1190柱がまだ眠っている。戦後80年を機に遺骨収集事業も加速させていきたい。

硫黄島には戦後50年の前年、平成6年に上皇、上皇后両陛下が訪れ慰霊されている。両陛下は在位中、戦後50年の7年に長崎、広島、沖縄を御訪問。戦後60年の17年に米自治領サイパン、戦後70年の27年にパラオを訪れ、慰霊の旅を続けられた。

天皇陛下はそのような上皇陛下のお気持ちを受け継いで、戦没者の慰霊に臨んでおられる。慰霊の伝統が戦争を体験された上皇陛下から戦後生まれの天皇陛下にしっかりと受け継がれていくことは、平和国家日本にとって実に心強い。

体験や歴史を伝えたい

2月の誕生日の記者会見で陛下は「悲惨な体験や歴史が伝えられていくことが大切」と語られ、次世代へ歴史を継承させることの重要性に言及された。戦後80年、戦争体験者の数は年々減少している。イデオロギーや単純な裁断では語れない先人たちの体験、複雑な歴史の実相を伝えていく必要がある。

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