トップオピニオン社説地下鉄サリン30年 憎むべきテロ事件の背景 【社説】

地下鉄サリン30年 憎むべきテロ事件の背景 【社説】

日本中を震撼(しんかん)させたオウム真理教による地下鉄サリン事件から30年となった。14人が死亡、6000人以上が重軽傷を負い、今も後遺症に苦しむ被害者がいる。戦後最悪の無差別テロ事件の背景を改めて問い、二度とこのような事件を起こさせないための教訓としたい。

宗教性排除した戦後教育

麻原彰晃こと松本智津夫元死刑囚が教祖のオウム真理教は1988年、修業中に死亡した男性信者の遺体を焼却した事件をきっかけに非合法活動に足を踏み入れた。脱会を申し出た信者を殺害し、89年には教団を追及していた坂本堤弁護士一家を殺害するなどエスカレートする。

90年2月の衆院選に立候補した松本元死刑囚と幹部24人が全員落選すると、教団は武力による国家転覆を企て武装化に突き進む。細菌兵器、そしてサリンなどの化学兵器の開発に着手。94年6月、長野県松本市の裁判所宿舎をサリンで狙い、住民8人が死亡する事件を起こした。この年に生成した猛毒のVXガスによる殺人にも手を染めた。

95年に目黒公証役場事務長を拉致し教団施設で死亡させた。信者による犯行が疑われ、教祖は警察の捜査を撹乱(かくらん)するため、朝の通勤ラッシュ時に主要官庁が集まる霞が関に乗り入れる地下鉄3路線の電車内でサリンを撒(ま)くことを指示した。

オウム真理教が起こした一連の事件の死者は29人に上っている。彼らは殺害を教義的に正当化し「ポア」という隠語で呼んで実行していった。

罪を問われ死刑となった教団幹部12人の多くは反省と謝罪の言葉を残しているが、なぜ人間としての一線を越える凶行に走ったのかという重い問いが残された。松本元死刑囚が教祖として絶対的な影響力を持ち、教団組織の閉鎖性もあったとはいえ、異常な道に進んでいると判断できなかったのか。特に殺害を正当化した段階で良心の葛藤はなかったのか。

彼らは高学歴の若者であり、知的水準は決して低くなかった。しかし、政教分離の極端な解釈から宗教的色彩を排除した戦後教育の中で育った。一種の宗教的無菌状態の中に置かれていたため、スピリチュアルなものを宗教の全てと思い込んだのではないか。

医者を含む理系のエリートが多かった彼らは、科学万能や世俗主義的価値観への反発からオウムに引かれた。しかし超越的な価値観を土台とする宗教も世俗の現実と調和し、宗教から人倫が確立されてきた歴史を十分理解していなかった。オウム真理教事件は、そのような宗教リテラシーを欠いた戦後の日本社会の歪(ひず)みが最悪の形で噴出した事件であったとも言える。

ネット社会で脅威深刻に

地下鉄サリン事件は化学テロの恐ろしさを現実のものとし、治安当局もその備えが進んだ。しかし、民間で化学兵器が開発製造されたという事実は、今後も同じような事件が起こりかねないことを示している。安倍晋三元首相を暗殺した山上徹也被告もインターネットから銃の製造情報を得た。ネット社会の発達でテロの脅威は深刻になっている。いかなるテロも許さない社会をつくらないといけない。

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