新全国犯罪被害者の会(新あすの会)代表幹事の弁護士、岡村勲さんが95歳で死去した。妻を殺害された自身の経験から犯罪被害者の権利確立に尽力した功績は実に大きい。
「あすの会」設立し活動
岡村さんは、それまで刑事裁判の蚊帳の外に置かれていた被害者の法廷参加に道を開き、加害者中心の刑事司法の在り方を大きく変えた。そのきっかけは、1997年10月に妻を殺害されたことだった。代理人を務めていた大手証券会社を逆恨みした男の犯行だった。
被害者遺族の立場に立って、被害者の権利がないがしろにされていることを知った。男の公判では裁判所から遺影の持ち込みを拒否され、加害者であれば見ることができる公判記録も「権利がない」と閲覧を拒否されたという。
大きなショックを受けたが、妻の死を無駄にしたくないとの思いから、2000年に「全国犯罪被害者の会(あすの会)」を設立し、代表幹事として被害者の権利確立のために精力的に活動。04年に成立した犯罪被害者基本法や、刑事裁判への被害者参加制度、重大犯罪への時効撤廃などの実現に尽力した。
あすの会は18年6月、メンバーの高齢化などを理由に解散した。ところが被害者の生活苦が改善されていないことから、22年3月に新あすの会として再発足し、当時92歳だった岡村さんが代表幹事に就いた。同月開かれた創立大会では「被害者には相談できる人がいない。たらい回しではなく、一元的に寄り添う組織が必要だ」と訴え、「犯罪被害者庁」の設立を国に求めていくとした。
新あすの会の功績の一つは、被害者遺族らに国が支払う給付金の最低額引き上げを実現したことだ。新あすの会の働き掛けで、24年4月に320万円から1060万円に増額されることになった。岡村さんは最後まで被害者支援のために生きたと言えよう。
一方、残された課題もある。新あすの会は、被害者が加害者に損害賠償金を要求しても支払われないケースが多いため、国が立て替え払いし、加害者から回収する仕組みの創設を求めてきたが、実現していない。国は被害者支援の一層の強化に努めなければならない。
岡村さんは生前に「被害者や遺族が日常生活に困らないようにするための制度はまだ不十分だ」と述べていた。また「自分は被害者にはならないと思っているだろうが、そうではない。自分のこととして考えていただきたい」と語り、被害者支援の拡充には世論の後押しが必要だと訴えた。
被害者軽視の死刑廃止派
岡村さんを巡っては、日弁連が16年10月、初めて死刑廃止を求める宣言を採択した際、反対意見を述べたことも忘れ難い。岡村さんは「命を奪った者は、命で償うしかない。宣言案には遺族の視点が欠けている」とも指摘した。
内閣府の世論調査で死刑を容認する割合は、当時も現在も8割を占めている。死刑廃止派は加害者の人権を重視するあまり、被害者や遺族を軽視しているのではないか。