きょうは45回目となる「北方領土の日」だ。第2次世界大戦後、択捉、国後、歯舞、色丹の島々を旧ソ連が不法占拠して以来、80年になろうとしていることは極めて遺憾なことだ。ロシアがウクライナ軍事侵攻に動く中だが、わが国は領土を守り、二度と領土を奪われないためにも4島返還を求め続ける決意を示したい。
国際法踏みにじる露
北方領土問題の解決と平和条約の締結に向けた日露交渉は、1991年のソ連崩壊後の雪解け期に可能性が芽生えた。しかし、今日のロシアは力による現状変更に向けて国際法を踏みにじっている。この容易ならざる状況で迎える「北方領土の日」に、日本固有の領土をしっかり記憶すべきだ。また今後、領土を奪われることを許してはならない。
わが国は敗戦による講和条約で放棄していない領土まで奪われている。北方領土を旧ソ連に、竹島を韓国に不法占拠された。講和条約が発効して独立を回復した後も、戦力不保持を定め、交戦権を否認した憲法9条を改めず、独立国として主権を守る軍を持たないために、余計に外国の船や軍用機による領海侵犯、領空侵犯を招来し、今に至るまで主権が脅かされている。
その典型は沖縄県・尖閣諸島であり、中国が領有権を主張し中国海警局の船が周辺海域に常駐するようになった。このような状況が生じたのは、まだ十数年前のことだ。早期に憲法を改正して一般の国のように軍や沿岸警備隊を保持し、警備に当たっていれば安易に外国の船は近寄れなかっただろう。
戦後、わが国は日米安保体制の下で高度経済成長の波に乗って奇跡的な復興を果たしたが、護憲派の勢いの前に憲法改正は進まなかった。東西冷戦期のイデオロギー対立は、国内政治でも保革対立の構図を招き、そのまま冷戦終結の雪解け期を90年代に迎えた。
93年には日露は東京宣言で北方領土の帰属問題を法と正義の原則の下に解決し、平和条約を締結して全面的に関係正常化することを目指すと合意した。
しかし、「平和憲法」を持つわが国に軍事のカードはなく、かえって安全保障に敏感なロシアの不信感を誘い、交渉に差し支えたと考えられる。また、エリツィン初代露大統領の政権は不安定で、結局、両国関係の打開には至らなかった。
気概失うことが災禍
代わって2000年にプーチン大統領が登場し、日露交渉は歯舞、色丹の2島返還に含みを残した1956年日ソ共同宣言を基点とするところまで後退してしまう。その2島返還も安倍晋三首相とプーチン氏との間で山口、東京で行われた日露首脳会談でロシア側に拒否された。
今日、わが国は対露制裁に加わり、ロシアは日本を「非友好国」、つまり敵として扱う厳しい関係に逆戻りした。
だが、返還要求の気概を失えば、それ自体が災禍だ。北方領土が日本の領土であることは歴史的事実だ。日露通好条約で国境を定め、江戸時代からの固有の領土である。今後も自国領と認識し、返還に向けた国民の意思を高揚していくべきだ。