
日米の野球界で数々の記録を残したイチローさんが、新たな栄誉に輝いた。アジア人で初めて米野球殿堂入りを果たしたのだ。野球の本場の米国で、日本人大リーガーの存在感を高めた功績は大きい。
走攻守で魅力伝える
殿堂入り表彰者は全米野球記者協会の記者投票で決定する。イチローさんは史上2人目の満票に1票足りなかったものの、得票率は99・7%で文句なしの選出だった。「この日を迎えられ、言い表せないほどの気持ち」と万感の思いを込めた。
これまでにベーブ・ルースやタイ・カッブら米球界で多大な功績を残した元選手や発展に寄与した人物ら350人近くが殿堂入りしている。イチローさんも野球史に残るスーパースターの仲間入りをしたことになる。日本の野球ファンとしても誇らしい限りだ。
プロ野球オリックスで7年連続首位打者に輝いたイチローさんは、日本人野手として初めて大リーグに挑戦。2001年からマリナーズでプレーした。当時、メジャーはパワー隆盛の時代。シーズン最多本塁打記録がどんどん塗り替えられる中、体格で劣る日本人打者が通用するのかとの見方もあった。
イチローさんは「覚悟を持ってプレーした」と語っている。プレッシャーもあっただろうが、卓越した打撃技術とスピードでこの年は首位打者と盗塁王を獲得。最優秀選手(MVP)と新人王に輝くなど米国のファンにも鮮烈な印象を残した。
大リーグでは通算3089安打、史上初の10年連続200安打を達成。打率3割とオールスター戦出場も10年続けたほか、04年にはシーズン最多記録を84年ぶりに更新する262安打で2度目の首位打者になるなど次々と記録を打ち立てた。
優れていたのは打撃だけではない。外野手として10年連続でゴールドグラブ賞を受賞。忘れ難いのは、矢のような送球で相手ランナーを刺した「レーザービーム」だ。広い守備範囲は背番号にちなんで「エリア51」と呼ばれた。さらに通算509盗塁を記録し、俊足で内野安打を稼ぐのもおなじみだった。走攻守それぞれで高いレベルのプレーを披露し、本塁打だけではない野球の魅力を伝えた。イチローさんがいなければ、その後の松井秀喜さんら日本人野手の活躍もなかっただろう。
殿堂入り後のイチローさんの言葉も味わい深い。才能をなかなか発揮できない人に「自分の能力を生かす能力はまた別にあるということは知っておいてほしい」と語ったのは、大リーグで長年プレーし続けたイチローさんならではだ。イチローさんが活躍できたのは、徹底した自己管理と「もっとうまくなりたい」という向上心、そして絶え間ない努力のたまものだろう。
自らのプレーで後進指導
19年の引退後は、培った経験や技術を精力的に後進へ伝えている。50歳を過ぎても自ら模範となってプレーを見せている点がイチローさんらしい。
イチローさんは、日本人大リーガーがまだまだ少ないと指摘した。この偉大な先駆者を目標に海を渡る日本人選手が増えることを期待したい。