トップオピニオン社説阪神大震災30年 抜かりない初動体制の確立を 【社説】

阪神大震災30年 抜かりない初動体制の確立を 【社説】

1995年1月17日に起きた阪神・淡路大震災から30年が経(た)った。早朝、多くの人が眠りに就く大都市を襲った最大震度7の直下型地震で、災害関連死を合わせ6434人が命を落とした。大災害時の救命・救援活動における初動体制の重要性を強調したい。

防災啓発の地震情報を

自然災害、特に地震災害は突然やって来る。家屋やビルの倒壊、橋脚が倒れた高速道路、同時多発した火災。瓦礫(がれき)によって交通が遮断され、救急救助活動や生活物質の運搬に当たる車両の現地入りに支障を来した。このため、500人余りが死を余儀なくされたのではないかとみられる。

当時の首相は社会党出身の村山富市氏で、危機管理という点で指揮系統のあいまいさも問題となり、自衛隊、警察や消防とも連携がうまくいかなかった。自衛隊は最終的に延べ約220万人が投入され人命救助や被災者支援に当たった。

難しい救援活動を教訓に、救急医療用のドクターヘリコプターの利用が各地に広がった。市井の病院の中には、敷地内にヘリの発着場を設ける所も出てきた。また、救急医療で治療の優先順位を決定する「トリアージ」の手法も知られるようになった。ただし、緊急時の医療、物資の輸送などについては今日も相当の試練と困難が待っている。災害時の運搬、救援がスムーズに行われ、総合力を発揮できるよう各救援機関のチームワークを高めることが必要だ。

また阪神大震災の経験から、初動体制の契機となる観測体制の格段の強化が図られた。その結果、注目される観測値が出れば気象庁の検討会が即座に開催され、南海トラフなど予想される地震との関係などが言及されるまでになった。ただし観測データの公表は頻繁であっても、それが国民の防災意識向上には必ずしもつながっておらず、むしろ“情報慣れ”を助長しているのではないか懸念される。

今日、激甚災害時には首相直轄の非常災害対策本部が設置されるが、初動体制を決定する重要な会議だ。予知することが極めて難しい突然の打撃には、咄嗟(とっさ)に対応する能力、完璧な対処よりむしろ拙速が必要な場合が少なくない。さらに俯瞰(ふかん)して全体の利益を重視する眼力、それを遂行する勇気、決断が大切だ。

一方、阪神大震災では復興作業に手間取る地域が少なくなかった。最も被害の大きかった地区の一つ、神戸市長田区の新長田駅周辺はかつて運動靴などゴムの加工業が盛んで中小工場があり、大きな商店街と住宅が混在する下町風だった。地権者と住民との利害関係の調整が長引いたため、復興事業は昨年ようやく終了。再開発ビルが立ち並び街の風景は一変した。地元住民による街の復興はどうあるべきか一考に値する。

独居老人の保護対策を

震災直後から滋賀、京都、和歌山各府県の特に仏教・キリスト教系の組織が経営する老人ホームなどが被災した独居老人を受け入れ、他の入所者と変わらずに生活の立て直しをサポートすることも随所に見られた。こういった奉仕活動の動きが広がっていくことも願いたい。

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