論説主幹・藤橋 進
今年は1926年の昭和改元から100年目に当たる。そして先の大戦終結から80年、節目の年である。「昭和100年」という言い方に、昭和という時代が日本人にとって特別な時代であることが表れている。
占領体制の呪縛いまも
戦争があり、戦後の復興があり、繁栄があった。令和のいまも、我々は昭和の土台の上に立っている。昭和の記憶は、いまの日本が抱える様々な問題を考える際、常にそこに帰って考えるべき出発点である。
負の面を言えば、敗戦と占領によって生まれた戦後体制は、なおこの国を呪縛し続けている。核恫喝(どうかつ)もいとわないロシアがウクライナを侵攻し激しい戦闘が続いている。覇権主義の中国が沖縄県・尖閣諸島の我が国領海を恒常的に侵犯している。北朝鮮は核ミサイル開発を着々と進めている。
安全保障環境が日に日に厳しさを増す中で、日本はいまだに、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と前文で謳(うた)う憲法の改正に真剣に取り組まない。戦後80年が経過しても、一種の催眠状態に陥っている。
「戦後レジームからの脱却」を掲げた安倍晋三元首相は、2012年、再び自民党総裁に就任した際、「政権奪還は決して私たちのためでも自民党のためでもない。まさに日本を取り戻す。日本人が日本に生まれたことを幸せと感じ、子供たちが誇りを持てる日本を作っていくためだ」と述べた。総選挙では「日本を、取り戻す。」をスローガンに掲げ大勝した。
安倍元首相は、日本を取り戻す道半ばで凶弾に倒れた。しかし愚直なまでにその政治信条を貫き、国家の抱える根本問題と取り組んできたその志は国を思う人々に引き継がれている。
昭和レトロがブームという。面白いのは、昭和世代が昔を懐かしむより、若い世代が中心となっていることだ。昭和を知らない若い人たちが、昭和の薫り漂う「純喫茶」や昭和歌謡を楽しんでいるのだ。なぜこのような現象が起きるのか。
昭和のものは、室内装飾にしてもどこか温もりがあり、不思議な懐かしさを覚える。それは人間が本能的に感じる懐かしさに繋(つな)がるものだろう。家族主義的な秩序、安心感が生み出すものとも言えるが、改めて考察に値するテーマである。
いま日本を悩ます少子高齢化は「静かなる有事」とまで言われる、国家の存亡に関わる問題だ。しかし考えてみれば、昭和のある時期までは、出生率の高さを抑えようとしたくらいだ。若い男女が出会い結婚し子供をつくる、それが当たり前であった時代だった。それがなぜ難しくなったのか。日本人は何か大事なものを忘れてしまったのではないか。今年はそれをもう一度、昭和に帰って探してみる年にしたい。
世界に目を向ければ、それぞれの国がアイデンティティーを守るため、あるいはそれを動機として行動する傾向が強まっている。トランプ次期米大統領は「アメリカを再び偉大に」を訴え、中国の習近平国家主席は「中華民族の偉大な復興」を掲げ、ロシアのプーチン大統領には「ロシア帝国の復活」の妄想がある。国際政治を動かす要因として、政治や軍事、経済と共に国家や民族のアイデンティティーとそれを拠(よ)り所とした誇りが、これほど重みを増す時代はないのではないか。ウクライナの人々も最後は国の誇りを懸けて戦っている。
そういう中で日本も、しっかりと国家のアイデンティティーを確認し、それを柱に他の国々と対さなければならない。そうしなければ、政治家だけでなく国家・国民が侮られる。安倍元首相がトランプ氏と馬が合い互いに尊敬し合えたのは、2人とも自国への素朴な愛情を根底に持っていたためと思われる。
真価問われる日本文化
グローバル化が進めば進むほど、それぞれの国の固有文化の真価が問われてくる。日本にやって来る外国人の旅行者は、日本にしかないものを求めて来るのである。日本らしさは世界に通じる大切な資産である。その価値に我々自身がもっと気付くべきだろう。
世界はますます不透明さ、不確実性を増している。嵐が襲ってくるかもしれない。そんな中で、自分たちが何者であり、何を守るべきかを常に確認しながら、荒波を超えていきたい。