シリアのアサド政権が崩壊した。国民は13年にわたる内戦で辛酸をなめてきた。国民の安全と国家としての一体性を取り戻し、地域の安定に貢献できる国家再建への一歩とすべきだ。
各勢力衝突への懸念も
シリアの半世紀にわたるアサド家による鉄の支配は、反政府勢力の蜂起後、わずか11日で瓦解(がかい)した。北部の要衝アレッポで11月下旬、反政府組織が蜂起し、一夜で陥落。アレッポはかつては反政府勢力の拠点だったが、数年にわたる攻防の末、政府軍に奪われた因縁の地だ。ここから反政府勢力の快進撃が始まり、南のハマ、ホムス、首都ダマスカスを目指した。
ダマスカスでは、政府軍が壊走する中、反政府勢力が住民の歓迎を受けた。現地からはアサド大統領の銅像が踏みつけられる画像も発信された。イラクのフセイン政権崩壊時を思わせる光景だ。
反政府勢力の主体はイスラム組織「シャーム解放機構(HTS)」。2011年3月の内戦勃発後に発足した反政府組織ヌスラ戦線の後継組織だ。国際テロ組織アルカイダと決別しアサド政権打倒の機を狙っていた。指導者ジャウラニ氏はSNSを通じ、首都の制圧を宣言。アサド氏が退任し、「平和的な権限移譲を指示した」ことを明らかにした。
シリア反政府勢力は現在主に四つ。北西部にHTS、北部にトルコが支援する「シリア国民軍(SNA)」、クルド人の「シリア民主軍(SDF)」、南部には米国が支援する「シリア自由軍(SFA)」が支配地を持つ。国内の6割を支配していたとされるアサド政権が崩壊したことから今後、各勢力が支配地を巡って衝突することも懸念されている。新たな内戦を招く愚を犯してはならない。
今回の攻勢が短期間で成功した最大の要因は、アサド政権の後ろ盾となってきたロシアとイランの弱体化だ。ロシア軍はウクライナ侵攻で消耗が激しく、ロシア経済も長引く戦闘で疲弊している。反政府勢力の進攻直後は、空爆も行ったが、続かなかった。
イランは、隣国レバノンのイスラム教シーア派組織ヒズボラを通じシリアにも影響力を持ってきたが、ヒズボラはイスラエルとの戦闘、幹部の殺害で弱体化。シリアに派遣されていたイランの精鋭「革命防衛隊」もイスラエルによる司令官らの殺害を受けて力を失っていた。
露イランの影響力排除を
イランにとってシリアは地中海に至る回廊の一部であり、その喪失は大きな痛手だ。ロシアは、シリア西部に海軍基地、空軍基地を確保し、地中海、アフリカ進出への足掛かりとしていたが、アサド政権の崩壊で影響力が弱まるのは必至だ。
内戦によって何十万人もの命が失われ、二千数百万人の人口のうちほぼ半数は国内外で避難民となった。すでに国外からの帰還が始まっているとも伝えられている。
今後、平和的に権力を移譲できるかが焦点となる。それにはロシア、イランの影響力を排除した新体制の構築が必要だろう。疲弊した国家の復興とシリア国民による民主的で安定した国造りが急務だ。