タイの政局が目まぐるしく動いている。憲法裁判所は今月、下院最大勢力の野党・前進党に解党命令を出すとともに、元幹部らに公民権停止処分を下した。さらに、与党・貢献党のセター首相の解任を命じた。
新首相にペートンタン氏
タイでは長年にわたって国軍が政治に関与してきた。タイ型民主主義の形は、議会制民主主義ですべてが決まるわけではなく、国王と国軍、政治家の3者の緊張関係から構成された歴史的産物だ。
憲法裁は10年前のクーデターで発足した軍事政権が指名した裁判官で構成される。昨年の総選挙で第1党に躍り出た前進党に解党命令を出し、貢献党を軸とした連立政権のトップである首相の解任を命じるという今回の判決は、国軍の意向をくんだ「司法クーデター」とも言えるものだ。
昨年の総選挙後は、下院議員だけでなくクーデター政権時代に国軍が任命した上院議員が投票権を持っていたことで、前進党からの首相選出を阻んだ経緯がある。しかし、今年から上院議員は各界各層からの選出となるとともに首相選出権も喪失している。
そうした中で憲法裁の裁定を受け、連立政権はタクシン元首相の次女であり貢献党党首のペートンタン氏を新首相に選出。ワチラロンコン国王の承認を受け、正式に就任した。37歳のペートンタン氏は、タイの首相としては歴代最年少となる。
憲法裁の判決によって貢献党と親軍政党の間に緊張が走ったものの、連立の枠組みはそのまま変わらなかった。国軍および保守派の真の狙いは、連立政権をリードする貢献党および同党のオーナー的存在であるタクシン元首相への牽制(けんせい)にある。
寄り合い所帯の連立政権は、パワーバランスに配慮しないとすぐに沈没しかねない宿命が存在する。ただ総選挙後の政権発足から1年も経(た)たないうちにトップが入れ替わることで懸念されるのは、政策の一貫性が問われることだ。
前首相のセター氏は、主要貿易相手国の中国や米国、日本を訪問して投資を促し貿易拡大への道筋を示した。また、ベトナムやインドネシア、マレーシアの後塵(こうじん)を拝するようになった国内総生産(GDP)伸び率を押し上げるため、自由貿易協定(FTA)拡大に向けた通商交渉に本腰を入れ、農家の債務繰り延べや最低賃金の大幅引き上げといった内需刺激策にも動いた。
危機感持った政権運営を
ペートンタン氏率いる新政権が、目指すべき国家のベクトルを見失い、連立を組む各党の意向に振り回されるようだと、次回行われる総選挙の結果は目に見えている。タイ国民の判官びいきも手伝って急進的改革路線の野党の大躍進が予想される。
ペートンタン氏に残された時間は多くはない。正念場であるとの危機感を持った政権運営を望みたい。東南アジア諸国連合(ASEAN)の盟主役をシンガポールやインドネシアと共に担うタイが、内外共の活力を維持することは「自由で開かれたインド太平洋」を外交方針とするわが国にとっても望ましく大事なことだ。