きょうは終戦の日。先の大戦で犠牲となった300万同胞の御霊(みたま)の安からんことを祈り、その犠牲の上に築かれた戦後の平和の尊さを思い、これを末永く保つ決意を新たにしたい。
再び戦争と混乱の時代に
戦後79年を経て、世界は再び戦争と混乱の時代を迎えている。ロシアのウクライナ侵攻は開始から2年半近くとなっても、なお和平の兆しが見えない。台湾海峡の緊張も続いている。日本国憲法の前文が謳(うた)う「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」することなど、とてもできない状況となっている。
当初、ロシアのプーチン大統領が侵攻に踏み切ることに対し、西側諸国は懐疑的だった。西側から見ればとても合理的とは思えなかったからだ。しかし、プーチン氏にはそれと異なる価値観があった。戦争ほど理不尽なものはないが、戦争が起き、平和が破られる理由もさまざまである。
平和の尊さを訴えるだけでは、平和を担保することはできない。戦後日本において平和が保たれてきたのは、日米安保体制が抑止力となっていたからである。
力の空白が野心的な近隣国に誤った判断をさせ、戦争が起きるという事実は歴史上数知れない。抑止力は、抑止する能力と意思があって初めて機能する。日本にとって一番の課題は、その意思をより強固にすることである。
もちろん、戦争の惨禍をわれわれは忘れてはならない。しかし戦禍に亡くなった人々や英霊を犠牲者としてのみ捉え、彼らが示した国家への献身自体は無価値であったかのように考える戦後の風潮は誤りである。国家への奉仕や犠牲は、普遍的で崇高な行為である。
特攻作戦で若い将兵の命が失われたことを犬死にのように言う者もある。特攻作戦の戦略・戦術的な是非、軍の指導部の責任問題は別としても、さまざまな思い、葛藤を抱えながらも、国のために散っていった若者たちは等しく英雄であった。たとえ日本が負けたとしても、国に命を捧(ささ)げる姿を示すことで日本は再建できると信じた英霊の思いを忘れてはならない。
ロシアによる侵攻以後、ウクライナへの西側諸国の軍事支援は膨大なものとなっている。侵略を放置すれば、自国の安全も脅かされ、世界の平和と秩序が崩壊するとの危機感が根底にあるが、ウクライナがロシアという巨大な軍事国家を相手に徹底抗戦を続けているからこそ支援をするのだ。
この侵攻を機に、米国はいざというとき、本当に日本を守ってくれるかを心配する声が上がった。しかし、自ら戦う姿勢がない国を誰が助けるだろうか。それを心配する前にわれわれは、自分の国を自分で守る決意ができているか確認すべきである。
空想的平和主義と決別を
戦後の反戦思想は平和を謳い上げながら、結果的に精神的武装解除を進めるものであった。われわれは、そのようなお花畑的、空想的平和主義と完全に決別し、国際情勢の厳しい現実を直視し、そこから平和を保つために今何をしなければならないかを考えるべきである。







