長崎原爆の日の平和祈念式典にイスラエルを招待しなかった鈴木史朗市長の決定が国際問題化し、先進7カ国(G7)のうち、わが国以外の米英仏独伊カナダの駐日大使が式典への参加をボイコットした。
中東問題でイスラエル側を一方的に断罪したと受け止められるような市長の判断は稚拙であり、原爆犠牲者の慰霊の日が反戦反核を掲げパレスチナに同情的な世論に偏したイベントと捉えられたのは考えものだ。
G7の駐日大使が不参加
イスラエルを不招待にし、パレスチナは招待した長崎市は、国際問題になることを予想できなかったわけでもあるまい。鈴木氏は「政治的な理由ではない」と説明したが、G7駐日大使らは納得しなかった。
このうち米英仏は核保有国であり、米国は原爆を投下した国だ。敗戦国のわが国の被爆地で戦争で敵対した各国が共に核兵器の悲劇を繰り返さないことを祈り、誓う意味は特別なものがある。このような重要な式典への参加を6カ国の大使が足並みをそろえて取りやめたことは、大きな損失だ。
諸外国を代表する大使たちの取る行動は自国の立場を代弁するものだ。本来、大きな外交失点をもたらした責任が問われるべき問題とみなければならないだろう。だが、この点をあいまいにしているのは自治体に外交権がないことだ。
岸田文雄首相はG7駐日大使の欠席について「市主催の行事」としてコメントしなかったが、もとより外交は国の専権事項だ。長崎は広島と同様に原爆の惨劇が起きた地として配慮が加えられるとしても、市長の独断で特定の国を式典から不当に締め出すのは行き過ぎだ。
パレスチナ自治区ガザでのイスラエルによる戦闘を招いたのは、イスラム組織ハマスがイスラエルに対し大規模な襲撃を行い、多くのイスラエル国民を誘拐して人質にしたことに端を発している。
長崎市は、ウクライナを侵略したロシアとロシアの同盟国ベラルーシを式典に招待していない。ロシアに対しては国連で非難決議が採択されており、わが国もG7サミットはじめ各国際会議で非難を表明し、対露制裁にも参加している。
このようなロシアやベラルーシと同じくイスラエルを不招待とする式典に参加することは、イスラエルを侵略国と扱うに等しいとしてG7駐日大使らが出席を見合わせたのは、理屈にかなうことだ。
むしろ長崎から核廃絶をアピールしようと平和宣言で「長崎は、他者を尊重し、信頼を育み、話し合いで解決しようとする『平和の文化』を世界中に広め」ると訴えるのであれば、式典にはあらゆる国々を招く方が道理にかなう。特に核保有国が出席してこそ意味があるものになるはずだ。
反発生むことに留意を
しかし、不招待にしたロシア、ベラルーシ、イスラエルに加えG7駐日大使が出席しなかったことから、それだけ長崎の式典の発信力は弱まったとみなければならない。特定国の不当な排除は式典への反発を生むことに留意すべきだ。