【社説】原爆の日 悲惨さと核抑止の意義伝えよ

例年に比して暑さが増す今年の夏、また広島と長崎に原子爆弾が投下された8月6日、9日を迎える。原子爆弾で一瞬にして命を奪われた広島の10万人余と長崎の7万人余の犠牲と現在も後遺症に苦しむ被爆者の身上に思いを馳(は)せるとともに、核兵器の恐ろしさをいま一度思い起こす日としたい。

目に付く式典の形骸化

広島の平和記念公園ではきょう、原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式が挙行されるが、気に掛かる面がある。毎年ほぼ同様の手順で式が進められ、しかも同じようなメッセージが披露されるなど近年は形骸化が目に付く。原爆投下から80年近い歳月が経過し、被爆者の高齢化や被爆体験の風化が進んでいることも気掛かりだ。

例えば被爆者の肉声やビデオメッセージの紹介、あるいは投下時の映像資料を活用するなど新たな試みに挑戦することで、式典が原爆による被害の凄(すさ)まじさを現在の人々、特に若い世代に正しく伝えられる機会となるよう当局に積極的な取り組みや工夫を求めたい。

最近、原爆開発に携わった主人公を描いた米映画「オッペンハイマー」が劇場公開され、話題になった。日米の間で、原爆投下に対する理解に大きな相違があることを改めて思い知らされた。だが、米国では原爆問題に関心が向き議論が湧いている。それに対し、肝心のわが国からの発信は弱いのではないか。

唯一の被爆国である日本には、世界に向け原爆被害の悲惨さを訴え続けていく責務がある。被爆体験の風化などを背景に、わが国がこの努力を厭(いと)えば、誰が世界に核兵器の恐ろしさを訴えていくであろうか。これは日本しか果たすことができない極めて重大な使命だ。

幸い昨年の先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)が契機となり、世界各地から広島の平和記念資料館を訪れる人が増えた。ウクライナ侵略でロシアのプーチン大統領が核兵器を使用する懸念が強まっていることも影響していよう。原爆や核兵器に対し、世界の人々の関心が高まった流れを活(い)かすことが重要だ。8月の年1回の式典だけでなく、さまざまな機会を通し、核兵器の問題について幅広く世界に発信を続けていくべきだ。

それとともに、国家の安全保障を全うするには、今もなお核抑止の力に依存せねばならない厳しい国際政治の現実がある。その現状を直視し、核抑止力の意義についても正しく理解する必要がある。核廃絶を願う思いと核抑止の必要性を受け入れることは決して相矛盾するものではない。

有益な意見交換の場に

もっとも、核廃絶と核抑止を説く論者の間に鋭い意見の対立があることも事実だ。しかし、意見の一致を見ないからと対話を閉ざすべきではない。米国の哲学者ロールズは「重なり合う合意」という考え方を提示する。意見が対立し完全な合意は得られずとも、重なり合う部分であれば合意できる状態を活かすことで正義の実現が可能になるという。広島や長崎での式典がそのような有益な意見交換の場となり、歴史の共有が進むことを期待したい。

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