旧優生保護法に基づき、障害などのために不妊手術を強制されたとして、全国の男女が国に損害賠償を求めた5件の訴訟の上告審判決で、最高裁大法廷は同法の規定を違憲と判断して国に賠償を命じた。当然の判決だが、優生思想によって障害者らの生殖能力を奪った国の責任はあまりにも重い。
最高裁が国に賠償命じる
大法廷は、強制不妊手術を可能とした旧優生保護法の規定が人格尊重の精神に著しく反し、差別的だとして、憲法に違反すると指摘。国会による同法の立法行為についても「憲法で保障されている国民の権利を侵害することは明白だ」として、初めて国家賠償法上違法と判断した。
1948年制定の旧優生保護法は「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止」するため、障害や精神疾患などを理由に本人の同意がなくても不妊手術や中絶を認めた。こうした規定は96年に母体保護法として改正されるまで存続。人権を無視し、個人の尊厳を踏みにじるものだったと言わざるを得ない。
判決で注目されたのは、不法行為から20年で賠償請求権が消滅する「除斥期間」の適用についてだ。大法廷は「請求権の消滅が著しく正義・公平の理念に反し、到底容認できない場合は、除斥期間の主張は許されない」との解釈を示し、判例を変更。国の責任の重さと被害者の事情を考慮し、一律に適用するのを避けた。
厚生労働省によると、不妊手術を受けた男女は約2万5000人に上るとされる。2019年に成立した救済法では被害者に一時金320万円が支給されるが、認定は今年5月末時点の累計で1110人にすぎない。一方、判決で確定した賠償額は1人当たり1000万円を超える。法改正を含む措置で全面救済につなげなければならない。
考えるべきなのは、なぜ命の選別が公然と認められたのかということだ。戦前も日本には強制不妊手術を可能とする「国民優生法」があった。しかし、同法が制定された1940年から47年までに実施された不妊手術は538件と旧優生保護法下に比べてはるかに少なかった。
背景には「日本は家族国家で、さかのぼれば全て同じ血統」「子種を失えば、先祖の祭りは誰がするのか」という反対論があった。一つの家族という国家観や、先祖や子孫を重んじる考え方が歯止めになっていたと言える。だが、敗戦後に手術の強制が本格化した。旧優生保護法の制定当時は障害者への偏見が強く「異常児は本人の不幸であるばかりか、家族にとっても一生の悲劇」などと宣伝された。
障害者の能力活用を
一方、現在も胎児の染色体異常を調べる新型出生前診断など命の選別につながりかねない検査が行われている。「子供は天からの授かりもの」と言われるが、行き過ぎた個人主義が蔓延(まんえん)した戦後の日本社会で、生命の神秘に対する畏敬の念が失われつつあるとすれば由々しき事態だ。強制不妊の問題から教訓を得なければならない。
少子高齢化が進む中、障害者の能力を生かして労働力不足を補う取り組みも進んでいる。偏見の払拭につなげたい。