【社説】沖縄慰霊の日 戦没者の差別なき慰霊を

沖縄県は「慰霊の日」を迎え、沖縄本島南部・糸満市の平和祈念公園で「沖縄全戦没者追悼式」を開催した。沖縄では先の大戦で、日本軍と連合国軍との間で激しい地上戦が展開され、民間人約9万4000人、米軍人1万2520人を含む約20万人が犠牲となった。戦争の惨禍を二度と繰り返さないという強い決意と共に、戦没者の御霊(みたま)に哀悼の誠を捧(ささ)げたい。

戦争美化でない旧軍追悼

沖縄戦で陸軍を指揮した第32軍司令の牛島満大将が自決し、組織的戦闘が終了したとされる23日が慰霊の日に定められた。公園敷地内の摩文仁の丘の頂上にある「黎明(れいめい)之塔」は、近くの壕(ごう)で自決した牛島大将と参謀長の長(ちょう)勇(いさむ)中将を顕彰するため、1952年に元部下が建立。陸上自衛隊第15旅団(那覇市)の幹部らは2004年以来、23日早朝、この塔を私的に参拝するほか、一般戦没者を追悼する「しづたまの碑」、殉職した県職員を祀(まつ)る「島守之塔」を巡り、祈りを捧げることが通例だった。

自衛官による一連の参拝は、左翼活動家と地元メディアの執拗(しつよう)な妨害の影響で年々時間を早めざるを得なくなり、一昨年、ついに中止に追い込まれた。今年も実施されず、3年連続で中止になった。沖縄を含め日本を守るために散華(さんげ)した軍人を弔うことの何が問題なのか。戦争で亡くなった人の慰霊について差別すること自体がおかしい。

第15旅団はホームページで旅団の沿革を紹介しているが、1972年の祖国復帰の際に行われた第15旅団の前身、臨時第1混成群のトップの訓示と共に、牛島大将が自決する前に詠んだとされる「辞世の句」(死を前にして遺(のこ)される短文)を掲載している。これを革新系市民団体が戦争を美化するものとして反発、第15旅団に記述の削除要請をした。地元メディアはこうした要請に同調している。

「秋待たで 枯れ行く島の 青草は 皇国の春に 甦(よみがえ)らなむ」と詠まれた句は「沖縄作戦において風土・郷土防衛のため散華された軍官民20余万の英霊に対し、この決意を誓うとともに御霊安かれと祈念する」という言葉と共に掲載されている。第15旅団は「第32軍を美化する内容ではなく、第32軍と第15旅団のつながりを示すものではない」との見解を示し、削除要請には応じないが、当然だろう。

玉城デニー知事は「防衛省、自衛隊はきちんと説明責任を果たし、複雑な県民感情に配慮し、適正に対応してほしい」と述べた。沖縄選出の高良鉄美参院議員は参院外交防衛委員会で「削除しなければ犠牲者の霊を慰めることなどできない」と話した。沖縄戦全戦没者を「捨て石」と決め付ける極論だ。

民意は現実的な安全保障

こうした玉城氏を中心とした革新系「オール沖縄」の被害者史観に根差した価値観は、現在の厳しい安全保障環境を考えれば、机上の空論でしかない。

沖縄県議選では、玉城氏を支える革新系県政与党が大敗を喫し、過半数を割った。米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設に反対し続け、現実から目を背けるやり方に県民がノーを突き付けた。玉城氏はこの民意に耳を傾けるべきだ。

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