中国は蟻(あり)地獄の様相を示すようになってきた。蟻地獄とは、鎌首のようなアゴを持つウスバカゲロウの幼虫が、乾燥した土をすり鉢状に掘って営巣し、落ちてくる蟻を捕らえるものだ。
亜細亜大の范雲濤教授=中国籍=が昨年2月に実家のある上海に一時帰国し、失踪したことが今年4月下旬に明らかになった。范氏は音信が途絶える前、周囲に「当局者に同行を求められ、尋問を受けた」と漏らしていたことから、中国で拘束された可能性が高い。
習政権下で日本人拘束
神戸学院大の胡士雲教授も、昨年夏に中国に一時帰国して消息不明になったことが今年3月に判明。5年前には北海道教育大教授だった袁克勤氏が母親の葬儀への参列のため帰国した際、拘束されスパイ罪で起訴された。8年前には法政大教授の趙宏偉氏が拘束された。
日本人も、中国で2014年に反スパイ法が施行された後、昨年のアステラス製薬社員を含め17人が拘束され、うち5人は今も獄中だ。政府は早期解放と帰国に向けた手を打たなければならない。
それにしても、今回の范教授失踪に関する中国当局の沈黙の長さは異常だ。1年以上の長期間、音信不通のままの家族はそれこそ気も狂わんばかりだっただろうし、所属していた大学の関係者も気をもんでいただろう。何より范氏には治療を要する持病があるという。これまで家族や関係者に、中国から脅しの言葉が届いていたのかどうかも気に掛かる。
東洋学園大教授だった朱建栄氏が13年7月、上海で失踪した時は、2カ月後に当局が拘束している事実を明らかにし、半年後に解放されている。
はっきりしているのは「中国の蟻地獄化」が習近平政権誕生以後に始まったことだ。習氏が第12期全人代で国家主席・中央軍事委員会主席に選出され、党・国家・軍の三権を正式に掌握したのは13年3月14日だった。
背景として考えられるのは、外に窓を大きく開いた「改革開放」の鄧小平路線から「強権統治」の習路線への転換だ。異例の3期目入りを果たした習氏は、自身への権力集中を進め「一強」体制を確立するとともに「国家安全」を最重要視している。昨年7月には改正反スパイ法を施行して摘発を強化した。
さらに、今年5月1日には改正国家秘密保護法を施行。機密保護を「共産党が指導する」と強調し「総体国家安全観を堅持する」と明記された。総体国家安全観とは、国家の安全保障を軍事や政治だけに限らず、経済や科学技術などの分野にも幅広く網を張るというものだ。
危惧される強権の手
何より今回の改正で顕著なのは、何が国家機密に当たるのかについて担当部門が単独決定できるようになったことだ。これはスパイ行為の定義も曖昧なまま、担当部門の恣意(しい)的運用が可能になったことを意味する。
これで習政権は、何でもつかみ出す鉄の長い爪を研いだことになる。14億人を擁する中国で恐怖政治が幕を開け、外国人や海外在住中国人に向けても強権の手が伸びてくることが危惧される。