きょうは昭和の日。昭和天皇の誕生日である。
「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代」を振り返り、それを鏡として、いまの日本を考えてみたい。
密度の濃い歴史刻む
昭和の時代は大きく見ると、先の大戦を境として「戦争」と「復興」の時代があり、そして「繁栄」の時代があった。64年の間に密度の濃い歴史が刻まれた。戦争と平和、国家と個人、社会と思想など、学び、研究すべきテーマは数多い。
昭和を振り返る時、300万人の犠牲を出した大戦、そこに至る道が中心となるが、その過程は複雑だった。単純に軍国主義の時代として批判して済ませてしまっては、本当の意味で歴史から学ぶことにはならない。歴史の経過を知るわれわれが、後知恵で、当時の人々の失敗や不明を指摘するだけでは不十分だ。もし自分が当事者であれば果たしてどうしただろうか、という視点が必要だ。
戦後の焼け跡から立ち上がり、復興を支えたのは何だったのかも、改めて検証すべきテーマである。平和が訪れ、人々が日々の生活と経済活動に専念できるようになったことが大きな前提だが、日本人の勤勉さや戦前からの知の蓄積などがなければ、その後の高度成長もなかったはずだ。
戦前からの連続性は国家体制においてより重要だ。昭和天皇が御一身を顧みず、終戦を決断されたのは、国民の命と国体を守るためであった。それによって日本の国柄を辛うじて守ることができたのである。丸山眞男の「8・15革命」説など、戦前と戦後の間の断絶を強調する歴史観を正す作業を今後も地道に続けていく必要がある。
高度成長を成し遂げ、世界第2位の経済大国となり、1980年代にわが国は繁栄のピークを迎えた。先端技術や治安の良さ、社会の安定など、一時期は世界のトップランナーと目された。繁栄を可能としたもの、その原動力は何だったかを考えるのも意味がある。一方、それがなぜ続かなかったのかも深く検証すべきテーマである。
いま昭和という時代を考える上で注目したいのは、若者の間に起きている「昭和レトロ」ブームである。昭和レトロといえば、その時代を体験した中年以上の人々がノスタルジアを感じる懐古趣味を連想する。しかし、いま起きているのは、昭和という時代を知らない若い世代がなぜか懐かしい感じを抱いて、昭和の雰囲気のある喫茶店や飲食店を巡ったりする現象だ。
一時的流行ではない
若者が昭和レトロに引かれるのは、それが持つ独特の温もりのためだろう。スマートフォンを自分の体の一部のように使いこなし、デジタル化、IT化が進んだ情報環境の中で育ったからこそ、新鮮な魅力を感じているのだと思われる。
昭和レトロへの懐かしさは、人間が持つ根源的な願望に根差すものだと考えられる。風俗現象や一時的流行として捉えるのではなく、文明論的な視点でその意味を探る必要がある。AI(人工知能)がわれわれの生活に深く入りつつある今、その意義は小さくない。