【社説】桐島聡容疑者 許せぬ過激派成り済まし逃亡

「桐島聡」と名前は知らなくても、写真を見れば駅構内などで見掛ける警察の全国指名手配ポスターに長らく掲載された人物と分かる。

1970年代の連続企業爆破事件に関与して爆発物取締罰則違反容疑で指名手配され、49年も逃走した極左過激派「東アジア反日武装戦線」の桐島聡容疑者(70)とみられる男が、神奈川県内の病院で身柄を確保され、29日に死亡した。多数の死傷者を出した事件を起こしての逃亡は許されない。

連続企業爆破で指名手配

桐島容疑者とみられる人物は「内田洋(ウチダヒロシ)」に成り済ましていた。

連続企業爆破事件は74~75年に12件発生し、8人の死者、400人以上の重軽傷者を出した。東アジア反日武装戦線は主流だった「狼」グループのほか「大地の牙」「さそり」の3グループがそれぞれ大企業などを標的とした爆破事件を起こした。桐島容疑者は「さそり」グループに属し、75年4月19日に起きた韓国産業経済研究所爆破事件に関与したとして指名手配された。

明治学院大学在学中に他の2人のメンバーと共に「さそり」グループを結成し、事件を起こした。他の2人は逮捕、服役を経て極左系の人権団体での活動や映画製作などを行っている。また「狼」グループの5人は全員逮捕されたが、うち2人は日本赤軍による75年のクアラルンプールでの米大使館、スウェーデン大使館占拠事件、77年のダッカ日航機ハイジャック事件で人質解放を条件に超法規的措置で釈放された。

「大地の牙」グループはメンバーの男女2人が逮捕された。男は逮捕直後に自殺、刑期を終えた女性は近年、作家となっている。東アジア反日武装戦線の主要メンバーは10人ということになるが、資金源や支援などを巡り全容が明らかになったとは言えない。

その中で、事件後ただ一人逃亡を続けていたのが桐島容疑者だった。神奈川県内の病院で警視庁公安部に身柄を確保された後に死亡した男が同容疑者であるかどうかの確認は、DNA型鑑定の結果が待たれるところだ。が、自ら「最期は本名で迎えたい」と「桐島聡」を名乗り、公安部の任意の事情聴取で家族構成などを詳しく話し、身体的特徴も一致していたという。

海外に逃亡していたと説明したとの情報もある。偽装パスポートの発行などが考えられる。また「内田洋」に成り済まし、工務店に住み込みで働くようになった経緯などの解明が必要である。

工務店では「音楽好きのおじさん」だったとの周辺情報も報道されている。しかし、重大な事件を起こした過激派組織の構成員が偽りの名義で市民社会に潜伏して刑事罰を免れることは言語道断である。

手配写真にAI活用を

一方、全国指名手配ポスターの桐島容疑者は、学生時代のものとみられるモノクロ写真で、半世紀近くも多くの人々が目にしながら、ほとんど役に立たなかったと言わざるを得ない。

今日では生成AI(人工知能)が発達しており、指名手配写真にも活用すべきだ。

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