【社説】台湾の被災者支援 示された日本との深い紐帯

能登半島地震による犠牲者遺族、被災者への寄付金として、台湾から政府支援の6000万円とは別に、13万4000件以上の個人や団体による25億円超が贈られた。感謝と共に、これが可能となる日本と台湾の結び付きの深さを改めて確認したい。

「農業の父」は金沢出身

寄付金の贈呈式は、呉釗燮(ごしょうしょう)・台湾外交部長(外相)と片山和之・日本台湾交流協会台北事務所代表(大使に相当)の間で行われた。呉氏はあいさつで日台相互の災害時の支え合いの歴史、親しい家族のような絆に加え、石川県との特別な関係にも言及した。

日本による台湾統治時代(1895~1945年)、南部の嘉南平原は洪水と干ばつを繰り返していた。そこに東洋一を誇った烏山頭(うさんとう)ダムとこれを起点に帯状に広がる多数の灌漑(かんがい)水路から成る大規模水利プロジェクト「嘉南大●(かなんたいしゅう)」が完成した。その技術を指導した功労者が「台湾農業の父」の名で慕われる金沢市出身の八田與一であったからである。

また当時、マラリア、ペスト、コレラなど蔓延(まんえん)する疫病を根絶させた後藤新平、第7代総督として司法・教育改革などを断行した明石元二郎らも近代化に尽くした日本人として台湾で語り継がれる。これら先人は政策や事業の功績もさることながら、統治と被統治という日台間の葛藤の中で、公的精神をはじめ勤勉、正直、約束遵守(じゅんしゅ)、犠牲などの人格的な美徳の種を蒔いた。

台湾総統選で当選を決めた与党・民進党の頼清徳氏(就任は5月20日)は真っ先に対日関係を強調した。その姿は1996年、初の直接選挙で台湾総統に選ばれた故李登輝氏を想起させた。李氏こそは、それらの美徳を伝統的な「日本精神(リップンチェンシン)」としてくくり、戦後レジームの中でこの伝統精神を忘れかけていた日本国民を逆に覚醒させようと尽くしてくれた人物だ。

頼氏は実際、李氏の世界観と政治哲学、また台湾の生存権をかけた先端IT産業という戦略的政策を学んだ。対日外交重視は、自由、民主主義、基本的人権、法の支配、市場経済などから成る普遍的価値観を共有していることから当然だ。安全保障政策上、台湾と日本は互いに相手方の有事を自らの有事とも認識する関係へと徐々に深まってきている。経済政策で台湾は、日本が主導する「包括的および先進的環太平洋連携協定(TPP)」(CPTPP)への加盟も大きな目標である。

日本人の美徳受け継ぐ

だが政策上のつながり以前に、頼次期総統の民進党は、台湾農業を支える嘉南大●の恩恵を今日まで受けてきた南部の台南市、高雄市、屏東県で高い得票率を得、立法委員選挙でも計17議席全てを獲得した。

台湾総統はかつての日本の台湾総督府の建物を、今日なお総統府として活用し執務を行う。またかつて台湾の近代化に尽くした日本の先人らの精神的美徳が受け継がれ、与野党を超えた政治的認知を経て人々の生活次元に静かに浸透している。このような深い絆の上に、おのずと日本に対する民間支援も成し遂げられるのである。

(●=土へんに川)

spot_img
Google Translate »