【社説】主張 年頭にあたって 政治だけでは「倫理」担保できぬ

本紙主幹・黒木正博

昨年は熊による深刻な被害が相次いだ。かつては出てくるわずかな熊はすぐ退治されたもので、「熊も出てくる時は気をつけなきゃダメだよ。あっ、人間だ、と見たら死んだふりしなきゃ」とは当時の世相漫談の一節。

「熊に出会ったら死んだふり」をして難を逃れるは俗説で、専門家によれば、まずはあわてず逃げないで相手の目を見ながらゆっくり後ずさりするのが鉄則という。とはいえ熊も個体差があり、安心できない。ましてや近年は餌(えさ)場が不足しているのか、人の居住地にまで“進出”してきており、「危険な地域に近づかない」だけでは身の安全を保証できないところまできている。

関与する役割が増大へ

こうした自然界の異変は、国家の安全保障にも大きな示唆を与えているのではないか。わが国周辺では、止まらない北朝鮮による弾道ミサイルの挑発的な発射、沖縄県・尖閣諸島への度重なる領海侵犯や台湾を含む東シナ海への中国の軍事プレゼンス拡大、ロシアの中朝との連携強化など、こちらが一貫して挑発しない、近づかない対応が今大きな分水嶺に立たされている。

国民の多くがそうした緊迫感を皮膚感覚で捉えているのだろう。岸田政権もようやく一昨年12月、国家安全保障戦略など3文書を改定し、防衛力の「抜本的」な増強に向け、2023年度から5年間で防衛費を総額約43兆円に増額する方針を決定。2年目に当たる24年度防衛予算案は過去最大の7・9兆円となっている。安倍政権時のインド太平洋戦略の枠組み構築も背景にあってこれを後押ししたことは間違いない。

世界は今グローバル化のただ中にある。ロシアのウクライナ侵攻は泥沼化の状況を呈し、さらに昨年はイスラエルとハマスの紛争が起き、出口が見えない。遠く中東、ヨーロッパの出来事と対岸の火事視できなくなった。

濃淡の差はあれ直接的な影響が日本にも及ぶ。日本が武器輸出解禁の一環として米国に地対空ミサイル・パトリオット輸出を決定したことに対し、ロシアが自国への「敵対行為」と強く牽制(けんせい)したのもその表れだ。筋違いもはなはだしい。ウクライナ支援で米国のミサイル不足が深刻化する中で日米同盟の実を高める上で妥当な措置だ。

だが、米国の抱える負担は増大し、東アジアはもちろん中東といった「3正面」プラスアルファとなりかねない。日本が自国を守る上でもさまざまな形で世界の平和と安定の要所に「近づき」「関与」する役割が大きくなったのだ。

ところが目を国内に転じると、パーティー券裏金など一連の政治資金問題で自民党が大揺れに揺れている。外交・安全保障はいわば内政の延長である。政権党の混迷が対外的な威信を大きく損なっているのは自明だ。

岸田文雄首相(自民党総裁)はこの問題で政治改革の具体策を検討するため年初にも党内に新組織を立ち上げるとした。その任に当たる渡海紀三朗・政調会長は前の党政治大綱を基本にした新大綱の作成に言及している。

前の大綱は1989年、リクルート事件を契機に決定され、派閥解消など政治倫理を掲げ、「いま、日本の政治はおおきな岐路に立たされている。国民の政治にたいする不信感は頂点に達し、わが国議会政治史上、例をみない深刻な事態をむかえている」とその危機感を露(あら)わにした。だが、今回はどうか。岸田首相の危機感表明も最大派閥の安倍派が焦点になっているのか、どこか他人事、開き直りのようにみえる。

いままで党の奥深くにしまいホコリをかぶった観のある「大綱」を、お題目に終わらせず日常の政治活動と密着させていくことが求められる。政治倫理は政治内で完結できるものではない。思想、哲学さらには宗教といった政治家を啓発させる要素が不可欠なのではないか。

大綱に「多額の政治資金の調達をしいられる政治のしくみ、とくに選挙制度のまえには自己規制だけでは十分でないことを痛感した」とあるが、むしろ今は政治家個人の資質と倫理観が問われている。真に政治は「自らを厳しく律する姿勢を図ってきた」のか。そうでなければ政治システムや法の改正だけでは十分でないことは、さらなる抜け道に走る現状を見ても明らかだ。

昨年は旧統一教会(世界平和統一家庭連合)に対する解散命令請求で、宗教と政治との関係が否定的に捉えられている風潮にさらに拍車を掛けた。宗教に対する政治の強い規制の動きが現れてきた年でもあった。

かつて政界でも、自民党内に「宗教政治研究会」(77年設立)、民主党には「宗教と政治を考える会」(99年発足)=いずれも当時=というグループがあった。宗教と政治の接点を試みてはみたものの、結局、宗教団体の票田など政治の思惑が先行し、本来の宗教による政治の襟(えり)を正し、謙虚な姿勢で国政に当たるような関係構築は果たせずに終わった。

「天命」求めてこそ真の改革

「カエサル(皇帝)のものはカエサルに、神のものは神に」とある。そうした聖と俗の境界線は踏まえながらも、とくに宗教界は結束して人智を超え標榜(ひょうぼう)する立場から政治(家)のあり方を説き訴えるべきではないか。「天命」を求めてこそ真の政治改革と言えよう。

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