創価学会を日本最大規模の宗教団体に導いた池田大作名誉会長が死去した。95歳だった。
池田氏は1960年、32歳の若さで第3代会長に就任。国内での会員数を75万世帯から827万世帯へと飛躍的に拡大し、創価学会インタナショナル(SGI)を発足させて世界各地に基盤を造成してきた。ご冥福をお祈りしたい。
救国の観点から評価
池田氏の業績の中で注目されるのが政界への進出だ。64年に学会内の公明政治連盟を分離して公明党を結成。「天皇制」打倒や日米安保条約廃棄などを掲げ、わが国における共産主義革命を企図する日本共産党と激烈な選挙闘争を繰り広げてきた。共産党の伸長を防ぐ一翼を担ってきたことは、救国の観点から評価したい。
その共産党との関係では、池田氏と宮本顕治共産党委員長(当時)が75年に創共協定を公表したことがあった。相互理解と敵視政策の撤廃を骨子としたものだ。公表直後から事実上、死文化したが、共産党は「70年代の遅くない時期に民主連合政府を樹立する」と豪語するまでに当時は基盤を拡大した。
現在、共産党の党勢は低落しているが、選挙での戦いは今も続いている。市川雄一氏(後の公明党書記長)主導で作られた『憲法三原理をめぐる日本共産党批判』に挙げられた約200の質問に対して共産党は未(いま)だに回答していない。公明党としては池田氏の死去に際し、その疑問を問う姿勢を改めて確認して攻勢を継続すべきだろう。
池田氏は中国との民間外交を進めることにも熱意を持ち続けた。池田氏の日中国交正常化の提言が両国の国交正常化交渉スタートのきっかけになったとの指摘もある。2007年に温家宝首相(当時)、翌08年には胡錦濤国家主席(当時)と会談するなどパイプの太さを示してきた。ただ、公明党はウイグル人弾圧を非難する国会決議の案文を骨抜きにするなど中国政府の立場を擁護する言動も目立つ。
山口那津男代表はきょうから北京を訪問する予定だが、国益を踏まえつつ主張すべきはしっかりと主張すべきである。岸田外交による日中関係改善の後押しの意味合いもあろうが、単なるご機嫌伺いであっては真の友好は深まらない。それは池田氏の望むところではあるまい。
公明党は1993年に発足した細川護熙政権で与党に初参画、99年には自民党と連立を組み、民主党政権の3年間以外は政権に参加してきた。その支持母体のトップとして池田氏は、小泉純一郎元首相や安倍晋三元首相ら有力政治家と会うなどし政界に影響力を行使してきた。
そのカリスマ的な存在が失われた。「人生の師匠」と尊敬し「池田先生のために」と檄(げき)を飛ばして活動してきた信徒および公明党員らへの影響は決して小さくないだろう。700万票前後あるとされる創価学会の集票力や機関紙「聖教新聞」の購読数にも変化が出よう。
党勢の維持が課題に
こうした中、山口氏はどう求心力を保ち党勢を維持していくのか。
山口氏に突き付けられた課題は極めて重たい。