人類史において核戦争の脅威の扉が開いた日、広島への原爆投下から78年が経(た)った。きょう広島は「原爆の日」を迎え、長崎は9日に迎える。数万の人命が都市もろとも瞬時に灰燼(かいじん)と化し、後遺症に苦しむ被爆者は今日なお約12万人を数えている。犠牲者に心から鎮魂の祈りを捧(ささ)げるとともに平和のありがたみをかみしめたい。
G7首脳が資料館を視察
「安らかに眠ってください 過ちは 繰り返しませぬから」。広島市原爆死没者慰霊式が行われる平和記念公園の慰霊碑に刻まれた誓いの言葉だ。過ちは原爆投下であり、大量殺戮(さつりく)の悲劇であり、それを繰り返さないために核廃絶世論は広島、長崎から世界に発信されている。
今年は特に先進7カ国首脳会議(G7サミット)が広島で開かれ、わが国に原爆を投下した米国のバイデン大統領はじめG7首脳らが慰霊碑に献花して犠牲者を追悼、原爆資料館を視察し、沈鬱(ちんうつ)な表情を浮かべた。第2次世界大戦の戦勝国、敗戦国の首脳らが等しく「過ちは繰り返しませぬから」の心境に達したことだろう。
確かに被爆者の声は国際世論となり、核兵器を使えない兵器とすることに寄与した。広島が地元で、「核なき世界の実現」をライフワークとする岸田文雄首相は、G7サミットで個別声明「核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン」を発出せしめた。
が、同ビジョンを被爆者団体は批判した。核なき世界を「究極の目標」としながらも、安全を損なわない現実的アプローチを盛り込む内容は「核抑止への固執」だと訴えるのだ。核を核で抑止するため核は存続する。このため核抑止を敵視するように反対する。
抑止か廃絶かを巡る議論は、戦後から長く続くイデオロギー闘争でもある。東西冷戦期に米国、ソ連(ロシア)の核軍拡競争に伴い、わが国は日米安全保障条約によって米国の拡大抑止提供を受け、非核三原則を政策とし、核不拡散条約に加盟した。
野党の共産党や旧社会党は強硬に反米反安保反核を唱え、米国の核の傘に入る政府に反対した。それゆえ広島、長崎は野党の反核運動の舞台となってきた。日米同盟を断とうとする左翼イデオロギーの影響もある。
電撃的に広島サミットに参加したウクライナのゼレンスキー大統領は、慰霊碑に献花し原爆資料館を訪れた際、「ウクライナの街は原爆資料館で見た風景と似ている」と語った。戦争がある以上、通常兵器でも焦土戦の惨劇は目を覆うばかりだ。
ソ連崩壊後、ウクライナが核保有国のままだったら、果たしてロシアは軍事侵攻し得ただろうかという考えもある。核なきウクライナをロシアは核恫喝(どうかつ)によってたやすく侵略し、北欧の中立2カ国は慌てて抑止力を求めて北大西洋条約機構(NATO)加盟に動いた。
戦争起こさせない力を
被爆地から核兵器のない世界を実現したいという「究極の目標」をアピールすることは尊いことだ。
が、そのためには戦争を起こさせない抑止の力を当面借りながら、戦争がない世界を目指す必要がある。