沖縄県はきょう「慰霊の日」を迎え、糸満市摩文仁の平和祈念公園で「沖縄全戦没者追悼式」を開催する。沖縄では第2次世界大戦末期、日本軍と連合国軍との間で激しい地上戦が展開され、民間人約9万4000人、米軍人1万2520人を含む約20万人が犠牲となった。戦没者の御霊に哀悼の誠を捧(ささ)げたい。
目に付くマナーの悪さ
日本軍第32軍司令の牛島満大将が自決し、組織的戦闘が終了したとされる23日が慰霊の日に定められた。ただ、その後も戦闘は続いた。正式に戦争が終結したのは、日本軍代表が沖縄で降伏文書に署名した9月7日であることも心に留めておきたい。
摩文仁の丘の頂上にある「黎明(れいめい)之塔」は、近くの壕(ごう)で自決した牛島大将と参謀長の長勇中将を顕彰するため、1952年に元部下が建立した。陸上自衛隊幹部らは毎年23日早朝、この塔を参拝している。日本を守るために犠牲になった軍人(英霊)を顕彰・慰霊することは至って当たり前の行為である。
しかし2004年から実施されている参拝は、左翼活動家と地元メディアの執拗(しつよう)な妨害の影響で年々、時間を早めざるを得なくなっている。一方、妨害行為に同調する県民はほとんどいないことを強調しておきたい。
追悼式で注目されるのは、知事が読み上げる「平和宣言」と来賓を代表してあいさつする首相の言葉だ。日米安全保障条約発効30年の1990年6月23日、当時の海部俊樹首相が首相として初めて追悼式に参列。それ以来、首相が毎年あいさつするのが慣例になっている。
ところが2014年の翁長雄志知事誕生以来、参列者のマナーの悪さが目に付く。平和宣言に大きな拍手が送られる一方、首相が話すとやじが飛び交うようになった。新型コロナウイルスの感染対策緩和で3年ぶりに首相が招待された昨年は、岸田文雄首相の言葉がやじでかき消されるほど騒々しかった。
最大の要因は、平和宣言の政治色が強まったことだ。翁長、玉城デニー両知事は毎回、米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の名護市辺野古への移設反対のメッセージを盛り込んできた。厳粛な雰囲気が失われたのは、政府との対立を煽(あお)った結果であることを知事は自覚すべきだ。
今年は4年ぶりに参列者を制限せず、コロナ禍以前の19年までと同規模で実施する。参列者に紛れて会場入りを試みる過激な活動家の動きに目を光らせる必要があろう。昨年は、平和祈念公園内に遺骨収集を名目に反戦活動家らのテントが設営された。今年こそは、静かな環境で首相あいさつを聞きたい。
米軍の抑止力を直視せよ
岸田首相は5月の先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)で、抑止力としての核の役割を認めた。ウクライナ情勢を踏まえたものだ。悲惨な戦争を繰り返してはならないが、平和を守るには一定の抑止力が必要であることは世界の常識だ。
海洋進出を強める中国や核・ミサイル開発を続ける北朝鮮の脅威の高まりなど、日本を取り巻く安全保障環境が厳しくなっている中で、抑止力となる米軍を排除しようとする言動は看過できない。