
国営諫早湾干拓事業(長崎県)を巡り、潮受け堤防排水門の開門を命じた確定判決の無力化を国が求めた訴訟で、最高裁第3小法廷が漁業者側の上告を退ける決定をした。確定判決の効力は失われたとした二審福岡高裁判決が確定した。
一応の決着はついたが、政権交代で方針転換したことで混乱を招いた国の責任は重い。
「開門せず」まで紆余曲折
決定は開門を認めない事実上の統一判断で、裁判官5人の全員一致によるものだ。国に「開門」と「非開門」の相反する義務を課した司法判断のねじれ状態が解消され、漁業者側が求めた開門の実現は困難となった。
この事業は高潮や洪水被害の防止と、干拓地での営農を目的とするものだ。1997年に約7㌔の潮受け堤防で湾奥部が閉め切られ、2008年に干拓地での営農が始まった。
一方、有明海沿岸の漁業者は、堤防閉め切りで漁業被害を受けたとして国を提訴。10年に開門を命じる高裁判決が出て、民主党政権の菅直人首相(当時)が上告せず確定した。その後、営農者が起こした訴訟などで「非開門」の判決が相次いだ。
国は14年、開門を命じた確定判決は効力を失ったとして提訴した。一審は訴えを退けたが、二審福岡高裁は18年、国側逆転勝訴の判決を言い渡した。
最高裁は19年の上告審判決で審理を高裁に差し戻し、昨年の差し戻し審判決では、諫早湾周辺の漁獲量が「増加傾向にあり、今後もこの傾向が見込まれる」と認め、堤防閉め切りから長期間が経過して漁業への影響は軽減していると判断。開門した場合、防災面や営農上の支障が大きいとも指摘した。
今回、最高裁で「開門せず」の決着がつくまでに、あまりにも長い時間が経過した。その大きな要因は、野党時代からこの事業を批判してきた菅氏が、地元に対する説明もないまま、開門を命じた高裁判決の上告を見送ったことだ。
民主党政権は「コンクリートから人へ」のスローガンを掲げていた。しかし政権交代のため、長い期間にわたって行われる大規模公共事業の継続性が確保されないのであれば、混乱するのは国民である。
最高裁で非開門が確定したことで、営農者が胸をなで下ろす一方、開門を求めてきた漁業者からは「確定判決とは何だったのか」という怒りの声が上がっている。地元住民の不信を招いた国の責任は重い。
最高裁の判断を受け、農林水産省は大臣談話を発表。非開門を前提とする関係者間の「話し合いの場」を設け、有明海再生に向けた支援を講じる考えを打ち出した。
これまで農水省は開門ではなく基金による解決を目指し、100億円規模の基金創設を提案してきた。だが、漁業者側は「開門せずに海が戻るとは思えない」と反発している。
国は話し合い主導を
とはいえ、諫早湾周辺で営農者と漁業者が分断されたままでいいはずはない。農業と漁業が共に発展していくためにも、国は地元住民と真摯(しんし)に向き合い、関係者の話し合いと和解を主導すべきだ。