【社説】主張 年頭にあたって

本紙主幹 黒木正博

危機にある国家の存立と尊厳

令和5年が明けた。コロナ禍も4年目に入るが、観光地で人手不足になるほど規制も緩和されてきた。とはいえまだ新型ウイルスにより予断を許さない状況は続いており、いわば日常化した中でのコロナ共存である。日常化といえば、ロシアのウクライナ侵攻を契機に日本を取り巻く東アジアの緊張も一段と高まり、まさに「激動の年」も恒例化した感がある。こうした状況を前提に日常的な対応を迫られる時代に入ったといえよう。

憲法改正こそ安保の要諦

昨年末、国家安全保障戦略など防衛三文書が改定された。しかし、「安保政策の大転換」と喧伝(けんでん)された割には、わが国の防衛力増強を支持する立場から評価できない思いになるのはどうしたことだろうか。

たしかに反撃能力の保有を明記し、その裏付けとなる今後5年間で防衛費をGDP比2%とするなど、従来以上に踏み込んだ対応であることは間違いない。ただ、安倍晋三首相当時の平和安全法制策定のような高揚感はない。同法制は集団的自衛権の行使を容認し、差し迫った脅威に対し日米安保体制による現場での合同作戦を可能にした。また、防衛費2%枠も安倍氏が道筋をつけたことが大きい。

その意味では、今回の岸田文雄政権の安保改定もその延長にあるといえるが、安倍氏と大きく違うのは改定に伴う哲学・ビジョンが見られないことだ。

今回の改定の背景には、直近ではロシアのウクライナ侵攻が波及させた国家存立の教訓がある。「自分の国は自分で守る」という命題を改めて日本国民に突き付けた。その一環としての反撃能力の保有だが、一方でJアラート騒動にも象徴されるようにミサイル・核攻撃に備えたシェルターの設置どころか、それに対する政治の意思もみえない。とくに覇権活動を繰り返す中国の最前線にあたる南西諸島においては、島民の有事における避難確保も深刻な課題だ。

これ一つをとってみても単に所管行政次元ではなく、政府・国家としてのトータルな取り組みが不可欠だ。国家行政はそうした差し迫った有事に対応しきれていない。その取り組みを円滑に行う上でも国家として意思を示す憲法改正、とくに9条の改正が急務となるゆえんである。核攻撃に対する抑止力として、これをタブー視し全面的な米国依存の態度でいいのか。安倍氏は「核シェアリング(共有)」をめぐる議論を問題提起したが、そうした国家・国民の究極的な安全確保からも、岸田首相は「核」論議を避けるべきではない。

戦争に至らせない、そして攻撃したら反撃で痛い目に遭うという「抑止力」には重層的な厚みが必要だ。とかくミサイルなどのハードな装備が論議されがちだが、「仏作って魂入れず」であってはならない。岸田政権は憲法改正を喫緊の現実課題として取り組むべきだ。

もう一つ、危機的な様相を挙げておきたい。安倍元首相銃撃テロでは事件の真相究明が等閑視され、特定の宗教教団に連日矛先が向かうというメディア報道の異常さが際立った。単独犯かどうかの疑問も含め事件究明に岸田政権は真剣に対応すべきだ。

戦前の大本教弾圧は当時の旧内務省が主導したものだが、今回はメディアが主導、というより無神論の共産主義やリベラルが一体となり煽(あお)って政府、国会が動いた感がある。信教の自由という憲法の根幹に関わる繊細な問題であるにもかかわらず、「反社会的団体」「カルト」という前提やレッテルの下に一方的な断罪報道を展開している。

この問題では、国会など三権や社会、とくにメディアが「宗教」とその役割をどう理解し向き合っているかが問われている。マスメディアは「第四の権力」と言われて久しいが、自らが高みに立った立場で他を断罪するという傲慢(ごうまん)さがインターネットの普及と相まってその信頼を衰退させたことを忘れてはなるまい。

もちろん宗教(団体)も生身の人間が営むものだけに問題も派生する。違法行為は厳しく処罰されねばならない。だが一方で宗教はあらゆる倫理・道徳の「宗(もと)」といわれるだけに、そうしたあるべき姿を説いた教えには謙虚に耳を傾ける必要があるだろう。三権(もしくは四権)は、その権力構造の相互チェックとは別次元の倫理道徳的な指針が内在的に求められているのではないか。

宗教全体に及ぶ規制の網

その意味でも昨今の政府による特定の教団への姿勢は、一教団のみならず宗教界全体に規制の網をかぶせかねない危険な要素をはらんでいる。この状況に対しては、国連NGOでパリを拠点に信教の自由擁護に取り組んでいるCAP-LCが報告書を出し、日本政府の対応を「全体主義を彷彿(ほうふつ)とさせる」と強く批判、「国際的な介入」が必要と警告した。わが国が国際社会に対し、信教の自由という尊厳なる人権の根幹にどう向き合うかが試されている。

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