
小泉純一郎首相が北朝鮮を訪問し、最高指導者の金正日総書記と会談してからきょうで20年が過ぎた。小泉氏は約2年後に再訪朝して2回目の会談を行い、最終的に北朝鮮に拉致された日本人5人とその家族の帰国が実現した。だが、それ以降、拉致問題はほとんど進展していない。被害者家族の心痛は察するにあまりある。
「全被害者が平壌に居住」
会談で正日氏は初めて拉致の事実を認め、謝罪した。蓮池薫さんら5人の生存を明らかにした一方、横田めぐみさんら8人については何の根拠も示さぬまま一方的に「死亡」と伝えてきた。5人の生存確認とその後の帰国は、拉致問題がいよいよ解決に向け動き出す兆しと受け止められたが、8人の「死亡」に日本社会は衝撃を受け、猛反発した。
北朝鮮側にも言い分はあったようだ。一部の拉致被害者を一時帰国させることで、日本との国交正常化交渉に弾みをつけたかったとみられる。日本統治時代の清算として巨額の戦後補償を見込んでのことだ。だが、予想に反して日本の世論が悪化。一時帰国のつもりで送った5人も北朝鮮に戻らず、日本に不信感を募らせたと言われる。
会談では日朝両政府による平壌宣言が発表され、拉致解決と国交正常化への道筋が付けられるはずだった。だが、最初のボタンの掛け違いで相互不信に陥り、逆に溝が深まった。
ただ忘れてならないのは、国家ぐるみの拉致という犯罪は断じて許されないということだ。いかなる理由があったにせよ正当化できない。それを思えば無条件に被害者全員を即時帰国させるのは当然だ。今夏、本紙の取材に応じた北朝鮮工作機関の元幹部は「全員が平壌市内に居住している」と証言した。救出は待ったなしである。
会談に随行した安倍晋三官房副長官(当時)はその後、通算8年8カ月に及ぶ首相在任中、拉致問題を日本の最優先課題に掲げ続けた。2014年の日朝両政府によるストックホルム合意では、北朝鮮側が被害者の再調査を約束したが、具体的進展につながらなかった。安倍氏亡き後、岸田文雄首相にも拉致問題解決に向けた本気度が問われよう。
日朝首脳会談後、北朝鮮は核・ミサイル開発に邁進(まいしん)し、周辺国の安全保障を脅かした結果、北朝鮮問題が広く国際社会に認知されるようになった。日本は「拉致・核・ミサイル」問題の解決を強調し、国際社会に協力を求め続ける必要がある。
被害者家族の高齢化が進んでいる。この2年余りの間にもめぐみさんの父、横田滋さんや田口八重子さんの兄、飯塚繁雄さんらが被害者との再会を果たせぬまま失意のうちに亡くなった。飯塚さんは生前、「私たちは毎日が針の筵(むしろ)」と語っていた。重く受け止めなければならない言葉だ。
懸念される問題風化
水面下交渉もあったが、解決の糸口を掴(つか)めないまま年月が過ぎた。一部では拉致問題の風化を懸念する声もある。あらゆる手段とルートを総動員し、被害者を救出するため北朝鮮と向き合わなければなるまい。