きょうは終戦の日。先の大戦の終結から77年が経過した。戦陣に倒れ、戦禍の犠牲となった300万同胞の御霊の安らかならんことを祈りつつ、戦争と平和について考えたい。
ウクライナ危機の教訓
ロシアの侵攻で、ウクライナでは現在も激しい戦闘が続いている。戦後、わが国の平和が保たれたのは新憲法の平和主義の賜物と錯覚する多くの日本人に、国際政治の現実をまざまざと見せつけた。
ロシアのプーチン大統領をしてウクライナ侵攻へ最終的に踏み切らせたのは、バイデン米大統領が早々に行った戦争への不介入表明である。国内向けと思われる不必要な発言が、プーチン氏の背中を押す形となったと多くの識者が指摘している。
またウクライナが北大西洋条約機構(NATO)加盟国であれば、ロシアは侵攻しなかっただろう。民間施設への攻撃や民間人の殺害などロシア軍による戦争犯罪が次々と明らかになる中で、西側諸国はロシアを厳しく非難はしたが、NATOはウクライナが加盟国でないことから直接介入は否定している。
ウクライナ国民の英雄的な戦いによって、首都キーウの占領は阻止され、国家の独立と尊厳は守られている。しかし、既にあまりにも大きな人的、経済的損失を生んでいる。
21世紀に起きたこの戦争の教訓は明らかだ。平和を担保するのは、感傷的、空想的な平和主義ではなく、抑止力であるということだ。攻撃を仕掛けた国に手痛い報復を与えることのできる軍事力であり、いざという時に同盟国が助けてくれる集団安全保障体制である。戦後の日本が平和を維持できたのも、日米安保を基軸とした抑止力があったからだ。
核兵器に対し、唯一の被爆国である日本は強い忌避感情がある。しかしウクライナ侵攻で、状況は大きく変わった。西側諸国を牽制(けんせい)するため、プーチン氏は核兵器の使用をほのめかしている。ロシアは戦略として核兵器の先制使用を排除しないことを公言している。
そのため西側の軍事支援は当初、携行式の対戦車ミサイルやドローン兵器などに限定されていた。その間にロシアは、ウクライナ南東部の要衝マリウポリを陥落させるなどの戦果を挙げた。核の恫喝(どうかつ)がこれほど具体的に効果を示した例はない。
ウクライナはかつて世界3位の核兵器保有国だった。核兵器を放棄していなければ、ロシアの侵攻はなかったという見方もある。ウクライナ危機は、平和を担保するのが軍事的抑止力であるという当たり前のことを白日の下に曝(さら)したとも言える。
日本は情勢の変化直視を
先の大戦は昭和天皇の御聖断によって最終的に終結した。陸軍を中心に本土決戦を叫ぶ人々もいたが、昭和天皇は誰よりも現実主義者であられた。国家と国民に最終的責任を負われる立場故に、日本再建の種として国民の命を守ろうと決断された。
中国は台湾統一の野望を現実的に進めようとしている。台湾有事は日本有事である。今こそ日本は、世界情勢や日本を取り巻く安全保障環境の変化を直視し、目覚めなければならない。