フィギュアスケート男子で2014年ソチ、18年平昌と五輪連覇を遂げ、世界選手権も2度制した羽生結弦選手が、現役引退を表明した。
日本が世界に誇るアスリートであり、引退は残念だが、これからもプロとして華麗な演技を披露してほしい。
男子66年ぶりの五輪連覇
記者会見では「プロのアスリートとしてスケートを続けていくことを決意した。これから競技会に出るつもりはない」と表明。「ここからさらにうまくなるし、さらに見る価値があると思ってもらえる演技をする」と力強く語った。
羽生選手はソチ五輪で世界王者のパトリック・チャン選手(カナダ)を破って日本男子初の金メダルを獲得。平昌五輪では男子としては66年ぶりの快挙となる連覇を果たすなど多くの優れた実績を残した。
しかし、その競技人生は順風満帆だったわけではない。14年11月のグランプリ(GP)シリーズ中国杯では、フリー直前練習で他の選手と衝突して大けがをした。平昌五輪の3カ月前には右足首を捻挫した。だが不屈の闘志でこれらの逆境を跳ね返し、平昌では右足痛を抱えながらも連覇を達成した。
氷上での華麗な演技と難易度の高い技術は多くの人々を魅了し、フィギュアスケートの枠を超えた国民的人気を集めた。18年7月には個人最年少で国民栄誉賞を受賞するなど、日本を代表するアスリートとなった。
今年2月の北京五輪はショートプログラム(SP)8位と出遅れ、フリーで前人未到のクワッドアクセル(4回転半ジャンプ)に五輪史上初めて挑んだが回転不足で転倒。合計4位に終わった。残念な結果となったが、難しい技術に挑戦し続ける向上心の強さが、これまでの羽生選手を支えてきたと言えよう。
引退を決断したのは北京五輪後、右足首の治療に専念している間に「理想のフィギュアスケートを追い求めるのは競技会じゃなくてもできる」との思いが募ったためだ。4回転半については「皆さんの前で成功させられることを強く考えながら、これからも頑張っていく」と宣言した。「今が一番うまいんじゃないか」という羽生選手の一日も早い成功を期待したい。
試練はけがだけではない。会見では「僕にとって羽生結弦という存在は常に重荷」と明かした。訳もなく涙が流れたり、食事がのどを通らなかったりしたこともあったという。「絶対王者」であることの精神的重圧と闘ってきたことが分かる。
仙台市出身の羽生選手は東日本大震災の被災者でもある。自宅が被害を受けたため、避難所生活も経験した。競技の中で常に被災地を意識し、その活躍は被災者の心の支えとなったに違いない。
人格面で子供の手本に
羽生選手は「人間として美しくありたい」「一生胸を張って生きていける生き方をしていきたい」とも語った。
日々の練習によって技術だけでなく、人格も磨かれたのだろう。これからもプロスケーターとして人々に夢を与えるとともに、人格面でも子供たちの手本となってほしい。





