トップオピニオン論壇時評「李在明に国を任せられない」与党候補・金文洙氏インタビュー

「李在明に国を任せられない」与党候補・金文洙氏インタビュー

韓国編 岩崎 哲

韓国大統領選スタート

韓国大統領選は6月3日の投票日に向けてスタートを切った。主な候補は3人。巨大野党共に民主党前代表の李在明(イジェミョン)候補、尹錫悦政権で雇用労働相を務めた与党国民の力の金文洙(キムムンス)候補、その国民の力から袂(たもと)を分かって起(た)ち上げた改革新党代表の李俊錫(イジュンソク)候補だ。

李在明氏については各種世論調査でも30%台の支持率を維持して、長らく「大統領に最も近い」と言われてきた。それに対して、与党候補の選定では立候補締め切り当日になってようやく決定するというドタバタ劇が演じられた。そのため金文洙氏の出遅れ感は否めない。

金文洙氏といえば“歴戦の闘士”である。1951年生まれ。軍事政権真っ只中(ただなか)で学生時代(ソウル大生)を過ごし、不正腐敗清算全国学生デモに参加して除籍される。それ以降、農民運動、労働運動に携わり、金泳三大統領から勧誘を受け96年国会議員に初当選した。その後京畿道知事に転身し、2012年の大統領選に手を挙げるも、党内候補選で朴槿恵氏に大差で敗れた。

月刊朝鮮(5月号)が党候補になる前の金氏をインタビューしている。聞き手は裵振栄(ペジニョン)同誌編集長だ。金氏は「輝くスターの瞬間」を迎えていると裵編集長は言う。きっかけは昨年12月11日の韓国国会だ。野党議員が尹大統領の戒厳事態について「閣僚は全員、国民に百拝謝罪するべきだ」と迫った。居並ぶ長官(大臣)全員が起立して頭を垂れた時、ただ一人席に着いたまま背筋を伸ばして前を見詰める長官がいた。それが金文洙氏である。“輝くスター”になった瞬間だった。

金氏はその前にも国民の注目を集めることがあった。昨年8月の人事聴聞会でのことである。「日本統治下の朝鮮人の国籍はどこか」という質問に対して、「日本だった」と答えた。この質問には罠(わな)が仕掛けられている。左派歴史観によれば1919年、臨時政府の独立宣言を今の大韓民国の起源としている。実際には臨時政府を認める国は一つもなく、主権も国土もない国家の要件を満たすものではなかった。

だが、韓国憲法は前文に「臨時政府の法統に…立脚し」とある。これをもって左派は日韓併合(10~45年)を認めず、国は存在し続けていたという解釈をしている。このことが植民地清算をした基本条約・請求権協定(65年)を認めず、繰り返し「慰安婦」「徴用工」問題で「賠償」を求めてくる根拠としているのだ。

「日本だった」という答えは併合が合法であり、基本条約が有効であるとの認識を示すことになる。左派が絶対に受け入れない論理だ。

逆に金氏はこうした左派を「反大韓民国勢力」と規定している。「私は不義と大韓民国を害する勢力、正しくなく横暴を働く勢力に対しては断固として戦ってきた。若い時から今まで」と述べる。

ここに金氏が単なる保守性向の人物ではないことが示されている。「若い時」は前述したように軍事独裁政権で「不義」があれば、それとも「戦ってきた」ことをアピールしているわけだ。

大統領制を内閣制にする改憲論議についても明確な考えを示す。野党の引っ掛け質問で、まるで「反憲法」人物のように批判されたが、彼こそは「72年維新体制から87年民主化大闘争まで15年間の涙ぐましい経歴が染み込んで咲いた花です」と、87年に前文を改正した憲法の価値を認め、また、本人自身が軍事政権と戦い、当時、組合の委員長として労働運動に携わっていた“民主化闘士”として、この憲法を“勝ち取った”側にいたのだ。

だから「改憲が体制変革の手段に転落するならば、途方もない国民的抵抗に遭うことになる」として、左派野党の底意に警戒感を示し、「李在明氏には国を任せられない」と明言する。

金氏の考えは、前文で示されたのは「精神」であって、これをもって臨時政府が存続していたかのような解釈はしない。日本に統治された現実から目を背けず、そこから出発するという堅実な現実路線だ。金氏の“輝く光”がどれだけ国民の間に届くかが課題である。

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