女性・子供の安全重視は反動か
東京都渋谷区は2015年3月末、同性カップルの関係を「結婚相当」と認定する制度の導入を決めた、いわゆる「パートナーシップ条例」をわが国で初めて成立させた。今年はそれから10年の節目の年。
「同性婚」の推進団体「結婚の自由をすべての人に」によると、パートナーシップ制度導入は487自治体に及び、全人口に対するカバー率は90%を超えた。その影響もあって近年、同性婚否定について憲法判断を求める訴訟では「違憲」判決が続く。出生時の性別と性自認が異なる「トランスジェンダー」の性別変更を認めた「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」(特例法)にある生殖不能手術要件を「違憲」とする最高裁判断が出た上、公衆トイレから女性専用を減らす自治体も増えている。
一方、日本より早くLGBT(性的少数者)の権利拡大運動が活発化し、同性婚も制度化された米国では、トランプ大統領が就任演説(1月20日)で「性別は、男女の二つのみにする」と宣言。トランスジェンダーの女子競技への参加を禁じる大統領令に署名し、それをロサンゼルス五輪(2028年)にも適用させる方針を示している。性自認によって性別は判断されるべきだとするトランスジェンダリズム(性自認至上主義)の見直しの動きだ。
わが国のLGBTの権利拡大運動にとっての節目の年に過去10年を振り返ると、活動家やその支援者らは運動が大きく「前進」したと評価する一方で、トランスジェンダーの権利主張が性別の多様化に反対する保守派を刺激して「バックラッシュ」(反動、揺り戻し)の動きを強め、米国の後を追うのではないか、と危機感を抱く。左派論壇をウオッチすると、そんなジレンマが伝わってくる。
その一つ、月刊誌「世界」3月号が特集「マイノリティを生きる」でLGBT関連の論考を掲載した。一方、保守派では「WiLL」3月号が関連対談を載せている。今回は両誌の論考を題材にトランスジェンダー問題を考える。
「世界」の特集には、5本の論考が載る。そのうち朝日新聞社会部記者の二階堂友紀は論考「反同性愛、そして反トランスへ―日本政治の一〇年」で、2015年は「日本政治にとって『LGBT元年』」と位置付けた上で、LGBTを巡っては「前進と後退」の10年だったと分析する。その前進と後退とはすでに前述したような動きだが、二階堂が特に強調したのは、保守派による「反トランス言説」の広がりである。
わが国では23年6月のLGBT理解増進法施行までは、法律に「性的指向」と「性自認」の概念がなかった。法的な性別変更を可能にした特例法について、二階堂は「トランスジェンダーのありようを『障害』と捉え、男女二元論と異性愛主義の枠内に回収しようとするものでもあった」と分析。その上で「性のありようを真に相対化するためには、性的指向と性自認という概念が必要だが、日本の法律はどちらの言葉も持たなかった」と述べている。
理解増進法で使われる「ジェンダーアイデンティティ」という文言は性自認と同じ意味だ。従って、二階堂は同法によって「性的指向と性自認に関する概念が法律の中に位置づけられた意義は大きかった」と、一定の評価を与える。
この指摘ではっきりするのは、LGBT運動に対する保守派と左派の評価の違いは性欲と性別を含めた性のありようの相対化についての是非なのである。さらに言えば、性の相対化とは、伝統的な性倫理の排除であり、すなわちそれは非宗教・反宗教の潮流でもある。LGBT運動に厳しいスタンスを取るトランプ大統領の支持者にキリスト教徒が多いことは、この運動の背景にある反宗教的価値観への反発があることを示している。
特例法がトランスジェンダーを「障害」と位置付けるのは、体の性と心の性は一致するのが「正常」との前提があるからで、左派はその考え方が偏見であり差別を生んでいると主張するが、しかしそれは脳科学の視点からも言われていることだ。
人工知能研究者で脳科学コメンテーターの黒川伊保子は動物行動研究家の竹内久美子との対談で、脳と体はフィードバックしながら成長するから「脳はある程度、自分の体を受け入れるようにできています。それが受け入れられないのは、やはり脳の不具合が起きている、もしくはバランスが崩れている可能性が高い」と指摘する(「日本は性に大らか……弥次・喜多はゲイなのに女を買ってたし…」=「WiLL」)。そして、心が男性でも体は女性というのはあり得るが、「自分の体自体を受け入れられないのは、一つの障害と言えるかもしれません」と述べている。
性自認の概念が法律に取り入れられることによって、トランスジェンダーは障害ではなく人の「属性」の一つとなったと言える。しかし、ここで大きな問題が生じる。トイレや銭湯などの女性スペースの安全と女子スポーツの公平性の問題だ。
二階堂は「例外的な事例を強調することは、属性全体への差別や偏見を煽る言説」に他ならず、すなわちそれは「反トランスの政治的な主張」あるいは右派のプロパガンダと一蹴する。マイノリティーの人権尊重は当然のことだ。しかしすぐに「差別」「偏見」という文言を持ち出して反論を封じ込めるのは左派がよく使う手で、これはLGBT問題を巡る感情的対立を煽(あお)り建設的でない。
竹内は同性愛とは違い「トランスジェンダーは何万人に一人の割合にすぎず、時に心臓が右にある人がいるように、そのレベルの非常に珍しいケース」と指摘する。例外的なケースを強調することは差別を煽ると言いながら、一方で、非常に珍しいケースを属性として一般化することは矛盾するのではないか。
トランスジェンダーは教育上の問題も惹起(じゃっき)する。黒川によると、12から15歳は大人の脳に移り変わる「変化の三年間」で整合性が取れない時期。「特に女の子は、生理や胸の成長が煩(わずら)わしく、恥ずかしくなって『女になりたくない』と感じてしまう」という。
「そのタイミングで、『あなたはトランスジェンダーで、心は男だから女になりたくないんだ』と言われたら、その罠(わな)にハマり、まんまと誘導されてしまう」と竹内。実際に、トランスジェンダーと診断される未成年者が増えるとともに、ホルモン治療や手術件数が急増し、そんな事態に対する危機意識から起きているのがトランプ政権の「常識の革命」である。
「世界」の特集で、同志社大学教授の岡野八代は大学におけるLGBTQ学生対応についての教職員研究会に参加した際の講師の話から、「LGBTQ+など今や様々にカテゴライズされる者たちの属性は、選択されたわけではなく本人の意志では変更できないものであるから、尊重されるべきなのだ」と述べている(「個人の尊厳をひらく」)。
だが、筆者はさまざまな努力によって同性を指向していた欲望が消えたと語る男性を知っているし、こうしたケースは少なくない。「LGBT元年」から10年の節目の年。性的指向や性自認を変更できない属性とする言説は、性の相対化のためのプロパガンダではないか、と再考する時期にきている。(敬称略)