宗教的世界観を軸に国造りへ
共和党のトランプ氏が民主党のハリス氏に圧勝した米大統領選挙は「宗教保守」の政治への影響力を改めて示した。「大接戦」の予想に反し、かなりの差が付いた要因には米国の経済状況がトランプ氏に有利に働いたことがある。だが、それだけでなく、宗教保守の力、特にその中心となったキリスト教「福音派」(エヴァンジェリカル)の力があったのは間違いない。米国における政治と宗教の繋(つな)がりの深さを改めて示した大統領選挙だったと言える。
日本でも「トランプ圧勝」を予測する識者はほとんどいなかった。その要因を考えると、世論調査の数値を信用し過ぎたということに加え、米国における政治と宗教の関わり、特にキリスト教徒の投票行動を深く説明できるジャーナリストがほとんどいなかったことがある。むしろ後者の方が大きかったのではないか。
米国における政治とキリスト教の関わりを知る上で、格好の論考が「Voice」12月号に載っている。帝京大学文学部社会学科教授の藤本龍児氏とジャーナリストで思想史研究者の会田弘継氏の対談「米国を変える福音派とカトリック知識人」だ。対談は米大統領選挙の投票前に行われたが、日本とは対照的に、社会の世俗化・左傾化を見直しキリスト教的価値観で国家を造り直そうとする動きが強まっていることが分かり、非常に興味深い。
米大統領選挙の情勢を報じる日本のマスコミも、キリスト教保守派の「福音派」がトランプ氏を支えていることは伝えていたから、福音派という言葉を耳にしたことのある人は多いと思う。ただ、その概念については「キリスト教プロテスタントの一派」程度にしか理解していなかったのではないか。
藤本氏は、米国の宗教を理解するには大きく「宗教保守」と「宗教リベラル」に区分して捉えるとよいとアドバイスする。宗教保守の中心となっているのが福音派で、米国人の約25%を占める。そこにカトリックやユダヤ、モルモンなどの保守派が入り、宗教保守は全体の3割強から4割弱になる。
さて、福音派だが、「聖書を何よりも重んじて、福音を信じる人びと」で、また福音とは「キリストの十字架(じゅうじか)によって人類の罪は贖(あがな)われた、という『良い報(しら)せ』のこと」だという。論者も、福音派はプロテスタントの一宗派だと思っていたが、藤本氏によると、現在はカトリックにも福音派を自称する人々が出てきている。そうなると、宗派というよりも聖書や福音への信仰姿勢による分類と考えた方がいいのかもしれない。
そして会田氏は「信仰心の深い人びとがさまざまな運動を担(にな)うことで、国家を変えてきました」と、米国では歴史的に宗教の役割が大きいことを強調した。例えば、1980年代、レーガン政権を支えたのも福音派を中心とした宗教保守だった。
ただ、「福音派とトランプの思想は完全には合致(がっち)しないものの、互いに利用価値があると認識すればこそ同床異夢(どうしょういむ)で動いてきた」と述べている。トランプ氏の過去や言動を見ると、篤実なキリスト教徒とは言い難いから、その通りなのだろう。
そして、会田氏は今回の大統領選挙では、福音派の投票率が下がるだろうと言われていたことを紹介する。理由は、人工妊娠中絶が憲法上の権利として認めた「ロー対ウェイド判決」(1973年)が2022年、連邦最高裁で「違憲」として覆ったことが大きい。つまり「人工妊娠中絶問題は米国の福音派が政治活動をする最大の動機の一つ」だったのだ。藤本氏も「福音派にとって現在は、焦って政治活動をするまでの状況」ではないと指摘する。
今回の大統領選挙で、福音派の投票率はどの程度だったかを示すデータがないので断言できないが、トランプ圧勝を見ると、福音派の投票率が下がったとは思えない。上がったとすれば、理由は明らかだ。福音派の政治目標は人工妊娠中絶問題だけではないのである。
同性婚やLGBT運動は聖書の教えを信じるキリスト教徒が強く関心を抱くイシューだ。だから過激なポリティカル・コレクトネス(PC=政治的に正しさ)運動など、民主党政権下で社会の左傾化が進んだことへの反発が強い。これらは不法移民に対する寛容な政策とともに、元来、政治に関わることには消極的だと言われるキリスト教保守の人々を投票所に足を運ばせる要因としては十分だろう。
一方、会田氏と藤本氏は、宗教に対する日米での大きな違いについても言及している。「日本では『新しい宗教』と聞けば警戒心を抱く人が多いでしょう。他方で、信仰の自由が根付いている米国ではそうした反応は薄い。むしろ、小さな教派でも宗教に熱心で信仰心が深ければ深いほど尊敬されます」(会田氏)
合衆国憲法は「連邦議会は国教を定めてはならない」と明言している。これは「信教の自由」を保証するためであって「これこそが米国の今日(こんにち)の姿の大きな基礎」になっている。だから小さな宗派でも信仰心が深い人が尊敬されるのである。
「いまの日本では、とくに政治家が宗教に関わるのは良くないことだと見なされていますが、米国の場合はむしろ逆です。共和党の議員だけでなく、民主党の議員も積極的に宗教団体に関わっている。ここに『宗教リベラル』の動きが表れています」(藤本氏)
さらに2人は、先進国では世俗化が進み宗教が衰退しているという見方に異議を唱える。米国の世論調査を見ると、教会に足を運ばない人が増えているのは確かだが、「SNSで宗教に触れている若者はとても多い」(会田氏)。
さらには「ほかのデータやインタビュー調査からは、『無宗教』に分類される人たちのなかでも、聖書を読んだりお祈りをしたりしている人がいることがわかっています」「最新の調査では、逆に無宗教者が減っているというデータ」もあるという(藤本氏)。
結論として、会田氏は「現在の米国を見ると、むしろ宗教の影響力は増していると受け止めるべき」だと強調する。具体的には、米国の知識人の間でカトリックの保守派が力を持ち始めていることを挙げる。連邦最高裁判事9人のうち5人あるいは6人はカトリックで、トランプ政権の下、副大統領に就任するヴァンス氏もカトリックに改宗した人物だ。
では、カトリック知識人たちは何を考えて米国を動かしていこうとしているのか。これについて会田氏は「米国ではいま、カトリック知識人によって、プロテスタンティズムと資本主義が結びついて生み出された過剰な個人主義が徹底的に批判されています」と説明する。一方、藤本氏は「カトリック系の知識人のあいだで抱かれている考え方は、宗教的な世界観を軸に米国社会をつくり直そう、というものです」と、米国では劇的変化が起きつつあることを紹介する。
さらに藤本氏は指摘する。「グローバルな資本主義やテクノロジーの最前線、それに軍事的な観点などを合わせてヴィジョンを形成した知識人には、宗教的世界観を抱くようになる人が多い。それを僕は、カトリックだけでなく、もっと広い『ユダヤ・キリスト教的な世界観』だと考えています」。そして日本の政治指導者がトランプ圧勝を本来の米国からの「逸脱(いつだつ)」あるいは一時的な「反動」現象だと考えていたのでは「いきなり梯子(はしご)を外されかねません」と警告する。
会田氏も「そこで考えなければいけないのが日本の対応であり、そもそも宗教を核に据えない国家はあり得るのか、という問いです」と、日本の政治指導者に根源的な問い掛けを行っている。国や世界が宗教的価値観で動くというのは今に始まったことではないが、米国で来年1月、トランプ政権がスタートすることによって、日本はこれまで以上に、キリスト教的価値観に向き合わされることになろう。
(森田清策)