トップオピニオン【意見】解散命令と最高裁の決定、家庭連合の宗教団体存続を確認 東京西バプテスト教会・黒瀬博牧師

【意見】解散命令と最高裁の決定、家庭連合の宗教団体存続を確認 東京西バプテスト教会・黒瀬博牧師

礼拝所など直ちに返還を

東京西バプテスト教会 黒瀬-博牧師
東京西バプテスト教会牧師 黒瀬-博氏

 6月22日付で最高裁判所は世界平和統一家庭連合(家庭連合、旧統一教会)側の特別抗告を退ける決定を下しました。これで解散命令は確定しました。この決定は憲法問題に踏み込むことなく、東京地裁、高裁の決定を全面的に肯定するもので、家庭連合の方々にとっては残念無念という内容ですが、決定が確定した以上、内容を云々(うんぬん)しても仕方ありません。裁判は野球の審判のようなもので、間違った判決であろうともそれを前提に時間が動き始めます。決定の論理はおかしいのですが、野球の誤審と同じで、結果をひっくり返すことはできません。今後は決定の不当性を記録に残すということに重点を移すことになるでしょう。

団体と法人を区別

 今回の最高裁決定で一つはっきりしたことは、解散命令とは宗教法人に対するもので宗教団体は存続することが認められたことです。これは地裁、高裁の決定でもある程度ほのめかされていましたが、最高裁によって明確に認められたことは注目に値します。ただし、存続の中身は解釈によって幅があります。また、解散命令の中身についても何を意味するかは論者によって違いがあるように思います。その点を問いただすことはいまだに意味があるのではないでしょうか。

 宗教法人と宗教団体の区別は常識的には明らかですが、法律的にはあまり明確ではありません。財団の場合は一般財団法人と公益財団法人があります。どちらも法人格を持っています。ところが宗教団体は法人格を持っていません。ですから、非課税特権を持たないだけでなく、銀行口座を持てないとか、その他多くの不利益があります。

 しかし、宗教法人法第1条、第2条において、宗教法人として認められる宗教団体の条件に宗教活動をしていること、礼拝所を持っているなどが挙げられているので、宗教団体が所有権などの法的権利の主体になり得るかのような表現も使われています。しかし、実務上、宗教団体の登記は認められないので、法的権利主体になることはなさそうです。では、実務上ではなく、理論上、宗教団体は財産を所有する権利はないのでしょうか。これはPTAが財産を持てるかとか、クラス会が財産を持てるかなどの問題と同じであり、実際上の財産支配は可能ですが、法的権利にはならないという結論になるのではないでしょうか。ということは、宗教団体は法的団体ではなく、私的な寄り集まりということになります。

 現在、日本の法的手続きにおいて宗教法人格を取得することは極めてハードルが高く、簡単に取ることはできません。ですから、宗教活動を目指す宗教家たちは社団法人や財団法人を設立し、その枠内で宗教活動を展開することになるでしょうし、実際、そのような事例を聞いたことがあります。今後、宗教法人格が取りにくいだけでなく、取った後も解散によって財産を差し押さえられる危険性が明確になったので、法人格を取らない宗教団体が増えることが予想されます。また、法人格を持っていても、自ら解散して法人格を放棄し、財団法人に移行する可能性も出てきます。未来については断言できませんが、今後、今回の解散命令決定を踏まえて、日本の宗教界が新しい動きを見せることは必至と思われます。

 さて、今回の最高裁の決定において宗教法人と宗教団体の区別がなされ、解散するのは宗教法人であり、宗教団体ではないことが明確になりました。しかし、宗教団体までも解散させるかのような説明も見受けられます。宗教法人が使っていた礼拝所を差し押さえるなどは宗教団体の活動をさせないことを意味しています。また、宗教団体の名称を変更すべきだとの見解もあります。また、一般には、今回の判決により宗教団体が解散させられたとの見解が広まっています。決定では「宗教団体が存続するので信教の自由の侵害には当たらない」としておきながら、実務上は宗教団体の解散を目指した決定になっていないでしょうか。この点が曖昧では困ります。

最高裁判所(東京都千代田区、石井孝秀撮影)
最高裁判所(東京都千代田区、石井孝秀撮影)

不合理な裁判決定

 最高裁決定では宗教団体の存続は認められていることを確認しており、清算人は宗教団体の信教の自由を侵害しないように清算手続きを進めることは当然のことです。現在、清算人は家庭連合の礼拝所をすべて差し押さえていますが、礼拝所は宗教活動に必須なものですから、ただちに家庭連合に返還しなければなりません。また、家庭連合の所有する墓苑・霊園は祭祀(さいし)財産ですから清算の対象ではありません。これを売却することは違法となるので、ただちに差し押さえを止(や)めて、家庭連合の関連団体に管理を移行させるべきです。

 決定の論理がおかしいことはすでに多くの論者によって指摘されていますが、結果もおかしなことになっていることを指摘しておきます。家庭連合の強引な献金集めが不法行為であると認定され、未来においても不法行為が続けられる可能性があるという理由で解散命令が出されました。

 この解散命令は宗教法人に対してであって、宗教団体の存続は認めています。その結果どうなったかを見ると分かりますが、その宗教団体は以前と同様に献金集めをしています。それは法律的に合法ですから誰もそれを非難しません。不法行為とも言いません。

 ということはどういうことでしょうか。決定後に行う献金集めは合法であるが、その同じことが決定前には不法行為であったことになります。このような明らかな自己矛盾を抱えているのが今回の解散命令なのです。

 また、決定では「強引な献金集めを防止するための実効性のある手段は解散命令以外に見当たらない」と述べていますが、決定は何ら防止することに役立っていないのが現実です。このような不合理な決定がまかり通るのが現在の裁判所なのです。以前にも指摘したことですが、宗教法人にも法人格があり、人権があります。ですから宗教法人を一人の人間に例えることが可能になります。もし一人の人が民法上の不法行為を行ったとしましょう。

 すると、それを理由にその不法行為の損害を賠償させるのではなく、その人の財産まで取り上げて、残余財産は別人に与えるという判決が下りたとしましょう。その判決が言うには「その人はまだ生きていて、活動できるのだから憲法上の問題はない」―あり得ない論理です。しかし、それが現実に起きているのが今回の解散命令なのです。

清算人は法を守れ

 解散命令は確定しましたが、教団財産の清算業務が残っています。現在、清算人が財産処分を行っていますが、清算人が法律を順守するのは当然のことです。つまり、清算人は清算業務しか行うことができません。宗教法人法第49条の5によると、宗教法人の債務が完済できないときは破産手続きに入り、その際、清算人の任務は終わり、破産管財人に業務を引き渡すことになっています。つまり、清算人の業務は限定的であり、その内容は第49条の2にある通り、現務の結了、債権の取立て及び債務の弁済、残余財産の引渡しの三つだけです。

 このうち重要なのは「債務の弁済」です。現在、清算人は公告により債権者を集めていますが、献金は債権に含まれません。寄付、お布施、贈与も同じであり、これらが取り戻し可能な債権なら経済・社会活動は成り立ちません。ですから、清算の対象となるのは「違法な献金」だけとなります。しかし、違法かどうかの判断を清算人がすることはできません。なぜなら、清算は確定した債権、債務の処理であって、違法かどうかの判断をする権限が清算人に与えられていないからです。

 ではどうするかというと、一つ一つの事例ごとに裁判所の判断を仰がなければなりません。裁判において、状況などをすべて考慮して返金請求を認めるという判決が出たとき、初めてその献金は債権となり、清算人が処理できるお金になります。判決を飛ばして清算人が判断するのは越権行為であり、清算人が処罰されることになるでしょう。

 また、清算人はすでに家庭連合の礼拝施設を差し押さえていますが、これは違法である可能性があります。裁判所が許可するかのような決定文になっていますが、宗教法人法第1条を読めば誰でも理解できるように、儀式行事を行うことは信教の自由の根幹を成すものです。「これを制限するものと解釈してはならない。」とはっきり書いてある以上、礼拝施設の差し押さえは法律違反なのです。

 清算人は今からでも遅くはありません。ただちに礼拝施設を家庭連合に開放し、礼拝を妨害する行為をやめなければなりません。

 刑法第188条も考慮しなければなりません。これは礼拝妨害罪の規定であり、清算人が礼拝所を差し押さえて、信徒の礼拝を妨害することは刑法上の罪になる可能性があります。礼拝所を使わせることが清算業務に何か差し障りがあるというのでしょうか。清算人は清算業務と無関係なことにおいて信教の自由を妨害すべきではありません。このことからも礼拝所の返還、もしくは開放は速やかに行わなければならないのです。

 今回の最高裁の決定により解散命令は確定しましたが、宗教団体の解散ではないことがはっきりしたので、宗教団体の宗教活動の自由(信教の自由)を尊重する宗教法人法の精神を無視しないように今後も声を上げ続けなければなりません。

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