高市政権が衆議院議員選挙で圧勝し、憲法改正の議論が注目されるようになった。日本国憲法は、連合国軍総司令部(GHQ)の主導で制定されて以来一度も改正されていないから、改正に向けた議論が進むことは望ましい。
しかし、どのように改正するのかは、十分議論が必要である。現在の議論は、第9条に関するものが中心であり、自衛隊の明記などが論じられている。これらは安全保障に係るもので、極めて重要であることは論を俟(ま)たない。ただ、同様に重要なのが、第24条への家庭保護条項の追加であるが、それについては、どの政党も全く論じていない。
第24条第1項は、婚姻が両性の合意のみで成立するとしている。また第2項で、両性が平等であるとしている。個人の尊重という日本国憲法の基本思想が表れたものであるが、ここに家庭を大切にするという条文が欠けている。個人と家庭は、両方とも尊重されるべきなのに、日本国憲法は個人の尊重だけを規定しているのである。
世界人権宣言第16条では、婚姻が両性の合意で成立すること、両性は平等であることと共に、家庭が社会の基礎的な集団単位であり、社会や国の保護を受ける権利を有すると謳(うた)っている。なぜ、日本国憲法から家庭保護条項が抜け落ちてしまったのだろうか。
これは偶然ではない。GHQは、意図的に家庭保護条項を入れなかったのである。なぜならば、当時のGHQの統治方針は、日本を無力化することだったからである。連合国は、日本の軍隊と対戦して、物資面ではるかに劣るにもかかわらず兵士が命を賭して戦うことに対して、理解不能なものとして捉えていた。神風特攻隊などはその典型例であって、若者たちが自分の命を捨てて戦艦に体当たりする姿は、クレージーそのものであった。そして連合国は、その背景に、日本独特の家制度があると考えたのである。
日本の軍隊は出身地ごとに編成されていたから、敵前逃亡するような者は、家の恥、故郷の恥とばかりに糾弾された。だから日本の無力化には、家制度を破壊する必要があるとGHQは考えたのである。その結果、日本国憲法から家庭保護条項を抜いた上で民法を改正し、家庭については家制度をなくして核家族を基本構成にしたのである。日本国憲法公布が1946年11月、民法改正は47年12月だから、最初から民法改正を組み込んでいたことが分かる。
その代償は、非常に大きいものであった。左翼的な勢力が、家庭は個人を縛るものだというキャンペーンを繰り広げた結果、結婚する若者が減り、離婚する家庭が増えた。家庭の存続が、とても難しいものになってしまっている。
自民党はかつて憲法改正案として、第24条第1項に、家庭保護条項を追加したことがある。2012年4月の草案には、こう書いてある。
第24条第1項 家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。
まさにこれが、日本が強さと豊かさを取り戻すために必要な条項なのであるが、残念ながら、現在の自民党案からは削除されている。
戦後80年が経過し、行き過ぎた個人主義が横行し、家族主義が対立概念となってしまった結果、婚姻数が減り少子高齢化の問題を抱えている。一つの世代が次の世代に引き継ぐまで30年はかかるから、いま家庭を守る施策を実施しても、その効果は30年後にしか表れない。つまり待ったなしの状況なのである。今すぐ、家庭保護条項の追加を国民的な議論とすべきである。





