
私は瀬戸内海が眼下に広がる高松市五色台に一般社団法人「サヌカイトの里五色台縄文村」を主宰し、定年退職した年金生活者を中心に、自給自足の共同体を営んでいる。本業は曹洞宗の僧侶だが、20代後半に出家し、永平寺で修行して父が遺(のこ)した山の上に「喝破道場」を開き、不登校児や非行少年、引きこもりの社会復帰に取り組んできたことから、児童心理治療施設「若竹学園」や児童養護施設「亀山学園」、厚生労働省の委託事業「若者自立塾」などの社会福祉活動を行っている。
そんな私が80歳を前に縄文村を始めたのは、ロシアのウクライナ侵攻がきっかけだった。2度の世界大戦を通し、戦争の悲惨さを嫌というほど知った人類が、21世紀になってどうしてまだ戦争を続けるのか、宗教者として悩んでいた時、ある人に「日本には1万年以上戦争がなかった縄文時代があるじゃないか」と言われ、気が付いた。
五色台はサヌカイトの産地で、叩(たた)くと美しく澄み切った音がするので、地元では「カンカン石」と呼ばれている。割ると鋭利な刃物になるサヌカイトは、縄文時代から矢じりや石刀などの生活用具として使われ、交易を通して全国に広まった。
縄文時代に戦争がなかったのは、野生動物や魚介類を捕獲する狩猟採取が主で、住居を建てるにも人々の協力が必要なことから、人の和を重んじ、それぞれの役割を認めながら、自我を抑えるすべを学んだからであろう。共同作業以外は伸び伸びとした暮らしで、それが芸術的な縄文土器やイヤリング、ネックレス、ポシェットなどの創作につながった。
底が黒くなった縄文土器があるように、火を使って煮炊きすることで食生活は格段に豊かになり、人々の暮らしは劇的に変わった。私は長く子供たちの教育に携わってきたので、まきでご飯を炊き、周りにある山菜を採っておかずを作ったらどうかと思い付いた。
雑草を食べようという本の著者を招いて講習会を開くと、主婦を中心に多くの人が集まった。講師と一緒に山に入って山菜を採り、調理の仕方を教わり、てんぷらとあえ物、お汁の実にしていただくことで、自然災害に備えての保存食の備蓄に、野草という選択肢もあることに気付かされた。タケノコは春に一斉に出るので、保存食にできる。
縄文人の精神世界を推測すると、自然に即した暮らしから生まれたアニミズム的な宗教が、彼らの生きる力を支えていたのであろう。縄文ビーナスのように、土偶の多くが妊婦をモデルにしているのは、命が生まれ、育ち、死んでいくという生の営みが不思議だったからではないか。
仏教以前のインドのウパニシャッド哲学は「梵我(ぼんが)一如(いちにょ)」、大自然と私が一つになるのを目指していた。多くの仏教宗派の中で、禅宗が一番釈迦(しゃか)仏教に近いとされるのは、坐禅により外界と自分の境をなくそうとするからで、釈迦が苦行の果てに悟りを開いたのも瞑想(めいそう)による。その意味で、禅宗は縄文人の精神に通じている。
青森県の三内丸山遺跡は約5500年前の縄文前期中ごろから、約4000年前の中期末まで、最盛期で400人から500人が暮らしていた。広さは約25㌶で、東京ドーム5個に相当する。集落から海辺に向かう道の左右に大人の墓が並んで造られ、生後まもなく亡くなった子供の遺骸を納めた壺(つぼ)には丸い石の玉が二つ入れられており、おそらく再生への願いを込めていたのであろう。
集落の周囲のクリやドングリの林は人工的な再生林で、いわば縄文時代の里山。栄養価の高い木の実を安定的に収穫する知恵が、既に培われていたのである。そんな縄文人の感性を取り戻すことが、私と周りの平和にする一助になるとの思いから縄文村の活動を進めている。(談)





