「臓器狩り」とは、生きた人間から本人の意志とは無関係に強制的に臓器を収奪するという極めて非人道的な犯罪をいう。中国新疆ウイグル自治区でウルムチ中央鉄道医院の腫瘍外科医だったエンヴァー・トフティ氏に、中国における実態を聞いた。(聞き手=池永達夫、写真=石井孝秀)
――中国新疆で処刑された囚人から臓器を摘出したということだが、詳細を教えてほしい。
これを話すのは簡単なことではない。自分が殺人者であったことに慚愧(ざんき)の念を覚えるからだ。
1995年6月、暑い夏の日だった。私が勤務していたウルムチ中央鉄道医院の手術日は月曜、水曜、金曜だった。
火曜日の午後、外科主任が私を呼んだ。
彼は私に「何かでっかいことをやらないか」と言った。
私は当時、若い外科医で仕事に情熱を抱いていた。
それで「はい、もちろんです」と胸を張った。難しく大きい手術を受け持つのだと思った。
主任は「麻酔医と2人のナースによる医療チームと救急車を手配するように」と指示し「明日の朝9時に、病院の玄関で会おう」と告げた。
翌日の水曜日、雲一つない快晴の朝、医療チームと救急車に同乗し、主任の自動車の後についてウルムチから西方に向かった。
救急車といってもライトバンにベッドが入っているだけだった。
車は西の山岳地帯に向かっていた。当初、病院の支部に行くと思っていた。車内は遠足気分だった。
だが半分くらい進むと、車は左折した。初めての道だったが、運転手は「西山処刑場に向かっている」と言った。西山処刑場は反体制派の処刑場だった。
皆の気持ちは一変した。私もいぶかるとともに怖くなった。一団の中でウイグル人は私だけだった。ひょっとしたら処刑対象は私かと思った。だが今さら後悔しても意味がなかった。
険しい丘の脇の埃(ほこり)まみれの道に車を停(と)めた。主任が歩み寄り、「ここで待ってろ。銃声が聞こえたら丘の向こうに回るんだ」と言った。
私は「なぜここにいるんですか」と尋ねた。
すると主任は「知りたくないなら尋ねるな」と答えた。
「いえ知りたいです」と私は食い下がった。
主任は「いや、お前は知りたくない」と念を押すように言い放ち、険しい視線を向けて車に戻った。
待ち時間は40分だったか1時間だったのか覚えていない。
エンジン音と人が叫ぶ声と笛の音が聞こえ、ライフルの一斉射撃音が聞こえた。
「銃声後に来い」と命令されていたので、車を発進させた。
山の斜面に、十数人処刑され倒れていた。
全員が囚人服を着ていて、多くは後頭部を撃たれていた。
刑務官は「一番右があんたのものだ」と言ったが、私は何のことを言っているのか分からなかった。
主任は私に「肝臓と二つの腎臓を取れ。今すぐだ、急げ」と言った。
主任の指示に従い、医療チームは処刑された囚人を救急車に運び入れた。自分の感覚が麻痺(まひ)していくのを感じた。衣類を切り裂き、手足を台に縛り付けた。そして、いつも通りの手順に従おうとした。消毒、最小限の露出、切開前の部位のマーキング等々。そして、問い掛けるように主任に視線を向けた。
すると主任は「麻酔は不要。生命維持装置も不要」と言った。麻酔医は腕組みをしたまま突っ立ったままだった。
私は「なぜ何もしない」と食って掛かった。
「何をしろって言うんだ。すでに意識はない。メスを入れても反応はない」と主任はいら立ちを隠さなかった。
私は腹部にメスを入れ、胸も切開した。私自身が撃ったわけではないので、それが救いだった。だがメスを入れると同時に、血が流れ出してきた。これは心臓が血液を送り出していることを意味した。処刑されたはずの囚人は、まだ生きていたのだ。
この手術は簡単だった。通常の手術では、隣の臓器を傷めないように気を使うが、今回は必要な臓器をただ取り出すだけだったからだ。そして肝臓と二つの腎臓を取り出して、ボックスに入れた。
主任はそのボックスを脇に置き「病院に戻りなさい」と言った後、「今日のことは誰にも口外しないように」と釘(くぎ)を刺した。
医療チームは沈黙に包まれたままウルムチに戻った。
そして翌日、主任は「昨日、何かあったかい? 昨日はいつも通りの日だったよな」と念を押した。
私は「はい」と言わざるを得なかった。
生体から摘出された臓器は、移植時の拒絶反応発生率が低く、胸部への銃弾が麻酔の役割を果たすことを、その後理解することになった。私が担当した囚人は、右胸に銃弾を受けていた。
あの時、せめてもの罪滅ぼしは家族のためにきちんと縫合したことだけだった。
――この証言を初めて公開したのはいつ。
15年後の2010年、ロンドンの英国議会議事堂で、処刑された囚人から臓器を摘出したという事実を明かした。以後、中国の臓器狩りの実態を世界に伝え、生体臓器収奪の停止を訴え続けている。
【メモ】数え上げれば数限りない中国政府関与の人権侵害の中でも、臓器狩りは際立って苛烈で人類史上未曽有の国家犯罪だ。この臓器狩り告発をライフワークとして運動し続けてきた野村旗守(はたる)氏が、志半ばで逝去した。だが倒れた旗を、再び手に取り振り続ける人々がいる。闇は光に勝てないはずだが、世の中には得体の知れない不条理が存在するものだ。そうした不条理の波を押し止め、深く冷たい暗黒世界に光を投げ入れないといけない。