Homeオピニオン【記者の視点】小泉八雲没後120年

【記者の視点】小泉八雲没後120年

客員論説委員 増子 耕一

今年は代表作『怪談』で知られる文筆家、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン、1850~1904)の没後120年。これを記念して著書『心』(河出文庫)や、アイルランド人脚本家ジーン・パスリー氏による伝記小説『黒い蜻蛉』(小宮由訳、佼成出版社)の出版が相次いだ。

熊本アイルランド協会では熊本市のホテル熊本テルサを会場に、11月16日と17日の両日、「現在(いま)に生きるハーン」と題する記念イベントを開催する。来年秋には八雲の妻、小泉セツをモデルにしたNHKの連続テレビ小説「ばけばけ」が放送される予定だ。

ハーンが来日したのは明治23(1890)年4月で、亡くなるのは同37(1904)年9月。日本で過ごしたのは14年間だ。日本は日清戦争に勝利して、日露戦争が始まっていく時期。日本が「西洋文明の採用」によって殖産興業と富国強兵を遂げていった時代だった。

今日、八雲が見直されなければならない理由は、この時すでに「西洋文明」の採用によってやがて日本で起きる悲劇を予感し、また西洋には欠落していた日本が失ってはならない「日本人の心」を認識していたからに他ならない。

パスリー氏の『黒い蜻蛉』は優れた小説で、アイルランド人が見たハーン像を示して興味深い。著者の使う言語には日本語にはない透明感があって、八雲とセツをはじめとする家族たちの姿が美しい絵のように浮かび上がってくる。

セツの愛情表現は言葉よりも礼儀や作法の中にあった。家事を引き受け、仕事を手伝い、夫を信じ、その良さを引き出していく。その愛は人を育み、夜にはふすまの向こうで妻になる。

その精神のよりどころは先祖への感謝と畏敬の念だった。親孝行は義務となり、家族愛が根を生やし、その上に忠義心が築かれる。

パスリー氏は長年日本で暮らした経験があり、ハーンの残した著作物をガイドにしてこの本を執筆。誤解していたことや見落としていたことに気付かされ、日本再発見の機会になったという。

八雲は日本の洗練された文化について記す一方、明治政府への危機感も表明する。西洋人がもたらすものすべてを嘗め尽くしていくさまを「この妄信的な侵略的産業主義は、日本のあらゆる美を卑俗な実利へと置き換え、その楽園をずたずたに荒廃させ、何も知らぬ不毛の地にかえてしまうだろう」と記す。

同時代の人、岡倉天心が『茶の本』で示した主題がここでも同じメロディーを奏でている。この一説は八雲の「日本文明の真髄」(『心』)と題する論文で説かれているものでもある。

また八雲が発見したものの一つに「女の魂」があった。母性愛の持つ美と神秘を理解するには、そこに「何万何億という死んだ母たちから遺伝された愛が宝物のように宿されていること」に気付かなければならないという。

その時はじめて、赤ん坊が見詰める目と出会う母親の瞳の限りない優しさも、赤ん坊が耳にする母親の言葉の限りない甘美さも、解き明かされることになる(「祖先崇拝についての若干の考察」)。日本人の心の中に驚くべき世界を発見していた。

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