【世日クラブ講演要旨】教育無償化が効果あり 少子化は政策の失敗 元衆議院議員 大泉 博子氏

世界日報の読者でつくる「世日クラブ」の定期講演会が24日、オンラインで開かれ、元衆議院議員の大泉博子氏が「少子化は、政策の失敗か 社会の成り行きか」と題して講演した。大泉氏は戦後、人口政策は「少子化政策」と言い換えて実施されてきたが、それによって焦点がずれ、政策が失敗したと述べた。また、日本の少子化は社会保障制度、バブル崩壊以降の経済政策の失敗、戦後の教育制度の劣化にも原因があると言及。今後の人口政策は、文部科学省を主務官庁にし、大学までの教育費の無償化や給食の国産化などの政策を打ち出す必要性があると自身の見解を語った。以下は講演要旨。
おおいずみ・ひろこ 1950年、東京生まれ。東京大学教養学部(国際関係論分科)卒業後、厚生省に入省。ミシガン大学大学院行政学修士取得。国連児童基金(ユニセフ)中北部インド事務所計画評価官や厚生省児童家庭局企画課長を経て、山口県副知事、衆院議員なども務めた。著書に『ワシントンハイツ横丁物語』(NHK出版)、『わたしは、グッドルーザー』(文芸社)など多数。
おおいずみ・ひろこ 1950年、東京生まれ。東京大学教養学部(国際関係論分科)卒業後、厚生省に入省。ミシガン大学大学院行政学修士取得。国連児童基金(ユニセフ)中北部インド事務所計画評価官や厚生省児童家庭局企画課長を経て、山口県副知事、衆院議員なども務めた。著書に『ワシントンハイツ横丁物語』(NHK出版)、『わたしは、グッドルーザー』(文芸社)など多数。

「少子化」という言葉は1991年以前の国語辞典にはない。なぜなら、少子化は経済企画庁が92年に発表した国民生活白書に初めて出てきた造語だからだ。

日本では干支(えと)が丙午(ひのえうま)の年は、「この年に生まれた女は気性が激しく夫を不幸にする」という迷信から出生率が大きく下がる傾向にあった。ところが、89年の人口動態統計で、丙午の年を下回る1.57の合計特殊出生率(1人の女性が生涯に産む子供の数)を記録し、政府に大きな衝撃を与えた。そこから政府は、人口問題に取り組むようになった。

人口問題に取り組む上で、「人口政策」という言葉は90年代前後で①社会の中枢を担う世代に戦前の政策を想起させる②男女平等が重要視され、「産む、産まないは女性の権利」とされ始めたことへの配慮の必要性――の二つの理由から「少子化政策」と呼称されるようになった。しかし、その呼称によって人口問題の的を外し、子育て環境改善へと焦点が移ることになってしまった。

また90年代前後は現在とは異なり、官僚が子供や女性に関する仕事を嫌がる傾向にあった。当時は日本が超高齢社会に向かっており、厚生労働省内で介護保険制度の成立が急がれたこともあって、そちらに優秀な人材を集めた。結果的に残った少ない人数と予算で少子化政策に当たることになったことも、少子化政策が失敗した要因の一つだろう。

人口学に立ち返ると、近代には以下のような人口定理がある。最初に、産業革命で農村から働きに出てきた人々が金銭給与を受け、家庭を持つことができるようになり人口が増加した。次に、科学の発展、食料生産の増加、衛生環境と医療技術の向上による乳幼児死亡率の低下によって、多産多死から多産少死の時代となった。それによって、急激な人口の増加(人口ボーナス)で、大量の労働力が生み出され、経済成長に繋(つな)がった。社会の変化によって子供を多く産む必要性がないと気付いた人々は、少産少死となって、人口が減少していくこと(人口オーナス)で経済停滞につながる。

今の日本は人口オーナスの時期だ。世界を見渡しても、先進国の全てが先ほど説明した流れをたどり、アジアの国々もたどりつつある。中国の場合は、一人っ子政策によって合計特殊出生率が低下し、今では一種の文化となってしまったため、労働力の減少には抗(あらが)えず、これまで通りの経済成長は期待できない。南米やイスラム系も少産少子の時代になりつつある。唯一の例外はアフリカで、いまだに多産多子が続いている。

先進国すべてが人口オーナス期だが、経済成長に成功した国もある。人口ボーナス以外で労働力をつくるには移民を受け入れることだ。米国は移民政策をうまく実施した。

移民を自国に入れなければ、人口オーナスの国は労働力を一定に保てない。経済も保てなくなるので、移民が必要だという理屈が使われている。

日本は、移民ではないとしているが技能実習生という形で外国人が入国している。海外の統計では日本を4番目の移民大国としているものもある。現在はベトナムやインドネシアなどの国から技能実習生が来ているが、自国が発展しつつあるのと、円安で日本に来る利点が減少していることから、将来的にアジアからは来なくなるだろう。多産多子社会で人口増加しているアフリカから、日本へ技能実習生として入国する人が増えるのではないか。私が作った言葉だが「アフリカンジャパニーズの国」になると予想される。

日本の人口政策失敗の原因を考えたとき、戦後は世界各国でベビーブームが起こり、米国では19年、欧州各国では約10年続いていたが、日本は3年間と他国に比べて期間が短かった。日本では米国の占領政策の影響もあり、人口増加を危惧する考え方が広がったのと、優生保護法の成立によって出生数が減少した。1949年の同法改正で、経済的な理由で堕胎しても罪に問われないようになり、日本の合計特殊出生率は同年に4.3だったのが翌50年には3.65に激減した。やがて二人っ子家庭が普及し、日本は人口密度が高過ぎるといった内容が教科書に掲載されるようにまでなった。

また日本で第3次ベビーブームが予想されながら起こることがなかった。政府や人口問題研究所は80、90年代に効果的な政策を打つべきだった。

少子化という造語の下では効果的な政策がなく、失敗に終わったと説明してきたが、人口政策に関わる省庁にも原因がある。

財務省は、少子化政策は彼らの外局である国税庁が集めた税金ではなく、厚労省の社会保険でやればいいというのが基本的な考え方だ。

農林水産省は本来、有事に問題のないように食料安全保障を扱うので、人口問題の根幹にある省だ。しかし今の同省は食料自給率や食料安保と言いながら、少子化への手段を何も示していない。

経済産業省については、バブル崩壊後の経済政策は失敗だったと言えるだろう。

外務省は戦後、長い間米国に追従してきて日本に「外交」はなかったといわれている。占領政策に一定の間違いはあったが、それを正そうとしていなかった。ただ、私は2006年に外交官試験が廃止された外務省に期待している。独自の試験があったため、他の省よりも突出して世襲の多い官庁だったが、それが変わる可能性が出てきた。少子化にも外務省は取り組んでほしい。

人口問題の責任官庁とされていた厚労省は年金制度を作った。これによって、親の世話をするための子供が必要なくなり、子供は人々にとって「贅沢(ぜいたく)財」となった。年金制度、介護保険制度は成功したが、人口政策の観点から見れば少子化の原因になった。

少子化をなんとか打開しようと、「こども家庭庁」が23年に設立されたが、小学校教育を切り離してしまったため失敗に終わるだろう。少子化対策の中心になることはあり得ない。

政策は各時代に影響を与えてきた。人口定理という大きな流れを変更はできないが、政策が一定の効果を発揮することはできる。

私が人口政策を行うとすれば、今後の責任官庁の筆頭は文科省にする。調査によると、教育費の無償化が少子化に一番効果的だ。大学までの無償化はできないと言われ続けてきたが、工夫してやっていく必要がある。

また、米国の占領政策の影響もあって変更された小学校6年、中学校3年、高校3年、大学4年の6・3・3・4制の教育は、画一化された労働力をつくるので、高度経済成長期には良いが、経済停滞期の日本には則していない。戦前にも行われていた6・5・3・3制に変更することを提案する。小・中学校教育後に、職業教育または昔のナンバースクールのような教養課程を経て、大学の専門課程3年の形にしてはどうだろうか。

日本は職業教育を軽視し、普通教育が大多数を占めるようになってしまった。それでは即戦力が育たない。即戦力となる教育を行わなければ、日本は世界に伍(ご)してやっていけない。職業教育はシンガポールなどをモデルにし、卒業後も職に就けることを保証することで、多くの人を正規雇用に繋げていけるのではないか。

子供たちには、家庭を持つ幸せも伝えていくべきだ。今の日本社会は男性にとって実はかなり生きづらい。職業選択に関しては問題ないが、平均寿命は女性より6年半も短く、自殺率や薬害率などは男性の方が圧倒的に高い。昔は「女の幸せは結婚」と言われていたが、現代こそ「男の幸せは結婚」と教科書に記載し、家庭で夫婦が支え合うことの幸せも教育すべきだろう。

他にも早婚手当や2・4・9月入学。学校給食を国産化することによる食料安保の担保などの政策が有効だろう。

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