国は信教の自由を抑制できない
安倍晋三元首相暗殺事件を契機に世界平和統一家庭連合(家庭連合=旧統一教会)に対して政府が東京地方裁判所に解散命令を請求し、信徒らは礼拝など信仰活動に不可欠な教会施設や教団職員である聖職者を失う瀬戸際に立たされている。7月22日、信教の自由と民主主義を擁護する国際宗教自由連合(ICRF)日本委員会(委員長=伊東正一九州大学名誉教授)総会で、主に中国の宗教迫害を監視してきたイタリアのオンライン宗教専門誌『ビター・ウィンター』ディレクターのマルコ・レスピンティ氏が講演し、日本の状況に警鐘を鳴らした。
宗教の自由と人権を扱う雑誌『ビター・ウィンター』は独創的な事業として成功しており、メディア関係者、活動家、学者を結集し、いつでも、どこでも、そして誰のためにでも、信教の自由を守ること、そして信者の迫害を糾弾することに深くコミットしています。
宗教的な迫害や宗教に対する不寛容が、世界中で信者らを脅かしています。その形はさまざまですが、目標は一つで、信教の自由を抑制し、否定さえすることです。
しかし、信教の自由は、人間や社会にとって、それがなくても成り立つという偶然の産物ではありません。あらゆる存続可能な共同体の柱であり、真の民主主義を確立し、市民のあらゆる権利と保護を確保するものです。
信教の自由は実際、最初の政治的人権です。神を信じる、あるいは信じない権利であり、宇宙を包み込み、支配する超自然的な存在や力を信じた、あるいは信じなかった結果、それに従って生きる権利です。家庭内で信仰するにとどまらず、信者は公に礼拝し、それに応じて個人的生活や共同生活を営む自由を持つべきです。
いかなる権力、国家、教会、組織も、その権利を抑制したり否定したりできません。
また宗教の自由とは、相対主義や選(え)り好みではありません。すべての人間の基本的な権利であり、究極の真理が存在すると信じ、それに従って生きる権利です。
日本の場合を考えてみましょう。私はヨーロッパから来ましたが、日本の生き生きとした文化と活気に満ちた民主主義を称賛します。首都東京は、古代と現代が見事に融合した都市であり、何百万人もの遵法(じゅんぽう)精神にあふれた市民が住み、世界で最も勤勉な人々が集まる中心地の一つです。
しかし、日本は大きな(権力の)濫用(らんよう)が行われている場所でもあります。私が言うのは、世界平和統一家庭連合のことであり、日本政府が東京地方裁判所に求めているその解散命令請求のことです。
『ビター・ウィンター』はこの事件をつぶさに追い掛け、不条理である、とかなり強く非難してきました。
すべては安倍晋三元首相が2022年7月8日に暗殺されたことから始まりました。
事実、家庭連合はその責任を負わされ、宗教団体としての解散請求にまで至りました。
被告人の山上徹也は、殺人の動機について、家庭連合に協力した安倍元首相への憎しみから、懲らしめるつもりで、と語っています。また2002年に母親が破産し、その原因が家庭連合に過剰な寄付をしたからだと言っています。
しかしこの事件には多くの影が残っています。例えば、なぜ母親の破産後、20年も待ってから行動に移したのか、などです。
しかし結局のところ、目の前には、犯していない罪で処罰される組織があるのです。
安倍元首相は高い代償を払い、家庭連合も高い代償を払い続けていますが、悪役はあくまでも暗殺者です。彼以外の誰も、その凶悪な犯罪の責任を負わされるべきではありません。
しかしながら、家庭連合に敵対する弁護士やその他の人々により、古いキャンペーンが再び姿を現して出てきました。それは主に政治的な理由からですが、反共産主義を何十年も主導し、成功を収めてきた家庭連合に憤慨してきたからです。今はエホバの証人のような、安倍元首相暗殺とは関係の薄い団体も標的にされています。
良識ある民主的な人々であれば、中華人民共和国やロシア連邦で行われていることを彷彿(ほうふつ)させるような措置に不安を抱くはずです。もちろん、日本の当局はそのような、ならず者国家と関わりたくないはずです。従って、家庭連合やその他の宗教的少数派に対する不正行為を正すべきです。この偉大な国は、このような不正に値しません。
いかなる権力、国家、教会、組織も、信教の自由を抑制したり否定したりできません。日本は今すぐにでもこれを正すべきです。