編集委員 森田 清策
1年前を思い出す。先進7カ国首脳会議(G7広島サミット、昨年5月19日開幕)を前に、自民党はLGBT理解増進法案を巡り大もめだった。米国のバイデン政権からの圧力もあって、推進派は法案をサミット前に提出すべきだと主張した。
一方、保守派を中心にした議員は原案に「性的指向や性自認による差別は許されない」との文言があったことから、自称「女性」の男性によるトイレや更衣室、浴場など「女性スペース」への侵入を誘発する、と強く反対した。
このため、与党は「性自認」を「性同一性」に、また「差別は許されない」の文言を「不当な差別はあってはならない」など、原案を修正し、サミット開幕前日に国会に提出した。しかし当時、自民党内からはこの修正を“反動”と捉える野党の反発で「法案を提出しても審議されずに廃案になる」との無責任な声も出ていた。
廃案になるとの思惑が少なからぬ自民党議員の本音だったとすれば、法案提出は当事者の人権を考えてのことではなく、党利党略のパフォーマンスでしかなかったことになる。
国会に提出された修正案についても衆院内閣委員会での審議入り直前、性同一性を「ジェンダーアイデンティティ」に再び修正。また「全ての国民が安心して生活できることとなるよう、留意する」との文言を盛り込むなど、日本維新の会・国民民主党案を丸呑みする形で受け入れた。自民党議員の無知故、同法案に国民の安全・安心が脅かされる“暴走のDNA”が埋め込まれていたことに気付いていなかった証左である。
二転三転した法案は衆参両院の本会議で自民党から複数の退席者を出しながら6月16日、賛成多数で成立した。この結果、同法を巡る騒動は、同党の劣化とリベラル化を露呈させ、伝統的な性秩序を守ろうとする保守層離れを加速させることになった。
あれから1年。改めて同法を読むと、理解困難な文言に、議員たちは本当にこの法律を理解して賛成したのか、との疑念はさらに強まる。例えば、ジェンダーアイデンティティについて「自己の属する性別についての認識に関するその同一性の有無または程度に係る意識」と定義している。何と難解なことか。
内閣府が今年3月1日に公表したリーフレットはこれを「自身の性別についてのある程度の一貫性を持った認識を指すもの」と解説している。ジェンダーアイデンティティと性自認は実質同じ意味であることを改めて示している。
今年4月1日、東京都品川区の「ジェンダー平等と性の多様性を尊重し合う社会を実現するための条例」が施行した。この条例もジェンダーアイデンティティの文言を使い、その定義は理解増進法を踏襲している。自民党の推進派は同法は罰則のない「理念法」だから、女性スペースでの犯罪誘発などはないと否定していた。しかし、同法の理念は地方自治体に下りてきて、その影響が住民の日常生活に及び始めている。同法に埋め込まれた暴走のDNAに対する監視の目をさらに強める必要がある。