日本は長い伝統を誇る「文化国家」だ。コロナ禍による規制が解かれた今、わが国の伝統・文化と美しい自然は海外から多くの旅行者を引き寄せている。
公序良俗を乱さぬ知恵、そこから生まれた性のありように対する寛容さは世界に類を見ない文化国家ならではのものだ。LGBT運動が先に活発化した欧米諸国は今、同性婚を法制化し、また性自認至上主義(性別は当事者の認識で決める)で混乱する。わが国がインバウンドでにぎわうのは、社会の分断に疲れた人々が日本文化と自然に癒やしを求めている証左かもしれない。
わが国に「性的マイノリティー」に対する差別が全くないとは思わない。しかし、法律で同性愛行為を禁じた歴史を持つ欧米との違いは、日本のテレビを見れば分かる。当事者が画面に登場しない日はない。芸術やファッションの分野で活躍する人も少なくない。防衛力の整備で守るべきものは主権、領域、国民だが、本質的には文化の香りが満ちる国柄なのである。
当事者の人権問題は、社会秩序を乱さぬ知恵と文化の力によって慎重に改善するのが保守の政治姿勢だ。そこで得られた知見の海外発信が期待されているのに、欠陥だらけの理解増進法成立によって、欧米と同じ過ちを犯す恐れを強めてしまった。その中心的役割を果たしたのが「保守政党」の自民党だから、保守層の失望は大きい。
条文を一読すると、法律で性の多様性に寛容な社会を実現しようとする危険性と、「性的指向」「ジェンダーアイデンティティ」という曖昧な概念に“暴走のDNA”が埋め込まれていることに気が付く。伝統的な家族の解体を目指す左派政治家ならいざしらず、多くの自民党議員が危機意識を持たなかったのはなぜか。
リベラルな米国政権からの圧力や公明党との関係維持という背景があったにせよ、日本の伝統・文化への誇りを忘れ、守るべきものを見失ったからだとしか言いようがない。党利党略からポピュリズムに陥って左傾化したのだ。
また、審議不十分なまま衆議院を通過した法案を、参議院がチェック機能を果たさずすんなり可決・成立させたことは、その存在意義を疑わせるものだ。任期が6年で解散がなく「良識の府」と言われるのは、公平で長期的な視野に立って国益を守ることが期待されるからだが、実情はその名から懸け離れている。
自民党の平成22(2010)年綱領は「国際化のなかで我々は多くのものを得た反面、独自の伝統・文化を失いつつある」との認識を示した。だが、法律が成立した今、強く思う。伝統・文化を見失ってしまったのは自民党ではないか、と。
左翼的なLGBT活動家や支援者は「性自認」の文言を盛り込んだ超党派案からの「後退」と反発するが、成立したからには、日本の国柄の基本をなす男女の性別概念や家族制度解体のスピードアップを図るため、条文を最大限利用するだろう。今後、法の運用を巡り、左派勢力と日本の文化と伝統を守る保守派の激しい綱引きが始まる。どちらに舵(かじ)を切るのか、日本はその岐路に立たされている。