【政治と宗教】「旧統一教会批判」に思う 政教分離の正しい理解が必要

元武蔵野女子大学教授・杉原 誠四郎

だが、ここで教祖または指導者の指導力がいかに強力であろうと、その教祖または指導者の指導が信者の信仰そのものではないということを押さえておかなければならない。

そのよい例が、創価学会の場合、昭和49年の創共協定である。創価学会の強烈な指導者池田大作と共産党の委員長宮本顕治との間で結ばれた、創価学会と共産党の対立関係を解消しようという協定であるが、これは公表されると即日といってよいほどに創価学会会員によって反故(ほご)にされた。創始者や指導者はどんなに強力で、信者の信仰を支えるものであっても、信者の信仰を全て仕切っているものではないという証しである。だから文鮮明への批判が旧統一教会への批判そのものになってはいけないということである。

今回の旧統一教会への無制限な批判を支えているもう一つは、一般国民の寄せる、いわゆる霊感商法の類いのものへの嫌悪である。

日本人の多くは大まかにいって、神道と仏教の二重信仰をし、何を信仰しているかを自覚しないままに信仰している。多くの日本人は家の仏教の宗派すら知らないでいる。こういう人たちから見ると、カルト的な狂信には最初からアレルギー反応が起こる。

欧米人の場合、何らかの程度に確信的に信仰するから、日本人の場合以上にカルト的宗教に見慣れており、日本人の場合に比べてアレルギー反応が弱い。

そこで一般の日本人はカルト的信仰に対して寛容でないのであるが、政教分離に基づく信仰の自由はこのようなカルト的狂信も保障しているものなのだということを忘れてはならない。実際にカルト的信仰によって救われている人がいることを忘れてはならない。

もしそうした信仰の信仰生活から出てくる行為で反社会的で社会的に迷惑な行為があるときには、その行為ができないように社会から抑制をかければよいわけである。霊感商法に対しては、消費者契約法で明確に抑制する規定が設けられているのはその一つだ。

一般に新興宗教というのは、特定の教祖または特定の指導者に支えられているところが大きいから、社会的には異常に見えるカルト的狂信が見られる。創価学会でも昭和30年代では折伏(信者を増やすための一般の人への働き掛け)とか墓石を高く売りつけるとか、旧統一教会への批判に当たる同種のものは創価学会にも見られた。

ある意味で、カルト的狂信というものは、一つの宗教として立ち上がるとき、どの宗教の場合でも見られるのが普通であり、またそれによってしか成り立たず、また、それ故に救われている信者がいるともいえるのである。一般的にして宗教社会学的にいえば、教団として大きくなるにつれて社会的に摩擦を起こさないようになり、信者のカルト的狂信は弱くなっていくと言える。

いずれにしてもカルト的狂信の要素があっても、それでも救われている信者がおり、信者のその信仰の自由を保障するのが現行憲法での政教分離であることを忘れてはならない。もしそこに社会に迷惑のかかる反社会的なものがあるならば、それはそのつど社会的に抑制するように制度を整えればよいのであって、その信者の信仰の自由を奪うようなことにしてはならない。

また、この教団の周辺で、この教団の信仰を基にしてか、素晴らしい社会活動をしていることも見ておくべきだろう。私が時おり投稿している『世界日報』は極めて質の高い優れた新聞である。また教団も近時「世界平和統一家庭連合」となって以降、健全な家庭を目指しての社会への教化活動も素晴らしいものがある。

にもかかわらず、教団の撲滅を図るかのような批判は、現行憲法の政教分離の下では許されないのである。

本稿の最初に述べたように、現行憲法の政教分離は押し付けられてできたものである故、日本では社会的にいまだ習熟して適用されておらず、特に憲法学での未熟さはいまだ顕著な状態にあるのである。

(敬称略)

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