沖縄縦貫新幹線の整備を

一般社団法人万国津梁機構元理事長 仲里 嘉彦

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沖縄県の長年の悲願であった祖国復帰が1972年5月15日に実現し、来る5月15日には50周年という節目を迎える。

そこで、復帰50周年記念事業として沖縄本島南部の糸満市から那覇市、名護市を経由して沖縄美(ちゅ)ら海水族館がある本部町の海洋博記念公園に至る約100キロを新たな整備新幹線と位置付け、建設することを政府に提案するものである。

国は1973年、北海道新幹線、東北新幹線、北陸新幹線、九州新幹線の鹿児島ルート、長崎ルートの5路線の整備新幹線事業を計画。その総事業費のうち地方の実質負担は12%から18%となっている。

沖縄においては、2012年度から導入している沖縄振興一括交付金制度の補助率は実質90%となっている。同制度と同様の補助率で沖縄南北を縦貫する鉄道に適用していただくよう、沖縄県に精通している岸田文雄首相に特段の配慮を賜り、復帰50周年記念事業として位置付け、建設するよう熱望する。

一般社団法人万国津梁機構元理事長 仲里 嘉彦

ここで、沖縄を取り巻くアジア経済を展望しながら、沖縄発展の可能性について触れておきたい。アジアの50年における域内総生産(GDP)は世界の50%になるという予測が、アジア開発銀行やシンクタンクなどで公表されている。このアジアの経済成長のエネルギーを、アジアに最も近接している沖縄が取り入れる政策を推進するのが望ましい。実際、政府はその方針を13年6月14日、成長戦略・骨太方針として閣議決定している。

そこで、沖縄本島の南北を縦貫する整備新幹線について国に求める根拠として三つ指摘しておきたい。

一つは、大正時代に整備された那覇―与那原(よなばる)間、那覇―嘉手納(かでな)間、那覇―糸満間の沖縄軽便鉄道は沖縄戦で破壊された。以来、戦後77年、沖縄に鉄道は整備されていない。ぜひとも国の責任で鉄道を建設するよう、強く要望するものである。

二つ目は、池田勇人首相は1961年から10年間の計画で国民所得を倍増することを目標に掲げた。その後、日本経済は計画以上の成長を遂げ、世界第2位の経済大国になったが、米軍支配体制下にあった沖縄は政府の恩恵をほとんど受けることはなかった。

三つには、復帰から50年が経過した現在においても、在日米軍占有施設の70%以上が沖縄に集中し、基地がある故に土地の計画的利活用ができない。在日米軍再編計画で嘉手納以南の米軍施設が順次、返還されることになっているが、辺野古移設が思うように進んでおらず、市街地にある普天間飛行場(宜野湾市)の返還時期も見通せない状況にある。結局、経済活動を阻害する要因になっていると言わざるを得ない。それに加え、基地に起因する事件・事故、騒音などが県民に過重な負担となっている。

このような戦後77年にわたる県民の労苦に報いる政府の姿勢を示してほしい。そこで、沖縄の自立発展に効果を発揮することが期待できる鉄道の建設を要望するものである。

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