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沖縄戦の特攻隊顕彰碑が建立


伊舍堂用久中佐と隊員

 沖縄戦で陸軍特攻隊の先陣を切って出撃し、米軍空母に突撃した伊舍堂(いしゃどう)用久(ようきゅう)中佐と隊員の顕彰碑の除幕式および慰霊祭が終戦記念日の8月15日、同中佐の出身地である沖縄県石垣市で行われた。

 伊舍堂中佐(当時の階級は大尉)は陸軍第八飛行師団誠第十七飛行隊の隊長を務めた。1945年3月26日午前4時、石垣島の白保基地から出撃し、慶良間諸島沖で米軍空母に体当たり攻撃、戦果を上げた。特攻後、二階級特進を果たし、尉官としてはまれな功三級勲四等旭日章を授与された。同隊は白保基地からは計10機が飛び立ち、17歳から24歳までの若者が散華した。

 顕彰碑には、中佐の辞世の句「指折りつ 待ちに待ちたる機ぞ来(きた)る 千尋(ちひろ)の海に散るぞたのしき」が彫り込まれている。中佐の甥(おい)、伊舍堂用八さん(75)の要望で、中佐が指揮した陸軍第八飛行師団誠第十七飛行隊の10人に加え、白保飛行場から特攻した31人全員の名前が刻銘された。

 15日正午前から行われた式典には、遺族や「伊舎堂用久中佐と隊員の顕彰碑建立期成会」(三木巖会長=八重山防衛協会会長)のメンバーを含め島内外から関係者約120人が参加した。国歌斉唱後、三木会長は「68年前、伊舎堂中佐と隊員は家族、故郷、国を思いながら特攻隊として飛び立った。散華した若い英霊たちを後世に語り継ぎたい」とあいさつ。中山義隆市長は「自己犠牲や利他の心を取り戻せば我が国は再び世界に誇れる精神性の高い国になると確信している」と英霊を称(たた)えた。

 関係者による除幕の後、参列者が献花。正午のサイレンに合わせて黙祷をささげた。

(石垣市・豊田 剛)

伊舍堂用久中佐と隊員

 沖縄戦で陸軍特攻隊の先陣を切って出撃し、米軍空母に突撃した伊舍堂(いしゃどう)用久(ようきゅう)中佐と隊員の顕彰碑の除幕式および慰霊祭が終戦記念日の8月15日、同中佐の出身地である沖縄県石垣市で行われた。

 伊舍堂中佐(当時の階級は大尉)は陸軍第八飛行師団誠第十七飛行隊の隊長を務めた。1945年3月26日午前4時、石垣島の白保基地から出撃し、慶良間諸島沖で米軍空母に体当たり攻撃、戦果を上げた。特攻後、二階級特進を果たし、尉官としてはまれな功三級勲四等旭日章を授与された。同隊は白保基地からは計10機が飛び立ち、17歳から24歳までの若者が散華した。

 顕彰碑には、中佐の辞世の句「指折りつ 待ちに待ちたる機ぞ来(きた)る 千尋(ちひろ)の海に散るぞたのしき」が彫り込まれている。中佐の甥(おい)、伊舍堂用八さん(75)の要望で、中佐が指揮した陸軍第八飛行師団誠第十七飛行隊の10人に加え、白保飛行場から特攻した31人全員の名前が刻銘された。

 15日正午前から行われた式典には、遺族や「伊舎堂用久中佐と隊員の顕彰碑建立期成会」(三木巖会長=八重山防衛協会会長)のメンバーを含め島内外から関係者約120人が参加した。国歌斉唱後、三木会長は「68年前、伊舎堂中佐と隊員は家族、故郷、国を思いながら特攻隊として飛び立った。散華した若い英霊たちを後世に語り継ぎたい」とあいさつ。中山義隆市長は「自己犠牲や利他の心を取り戻せば我が国は再び世界に誇れる精神性の高い国になると確信している」と英霊を称(たた)えた。

 関係者による除幕の後、参列者が献花。正午のサイレンに合わせて黙祷をささげた。

(石垣市・豊田 剛)

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