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「夫婦別姓」の反対理由 「選択」で家族に軋轢


優先されるべきは「子の利益」という視点

 今年は衆議院選挙が行われる。毎度のことではあるが、選挙が近づくと、政治家から「人気取り」とも言える発言がしばしば聞かれるし、そうした政策提言なども行われる。

 例えば最近、自民党の閣僚経験者が自身のフェイスブックで「自民党は、保守政党であり、『多様性と寛容』の精神を大事にするのが保守政党の本質です。草の根の保守とは、大衆の意識、庶民感覚への度量がなければ自民党はダメになります」と書いた。

 3月27日付のこの欄で書いたように、LGBT(性的少数者)理解増進法案の今国会成立に力を入れていた元防衛相、稲田朋美も「保守の真骨頂は『寛容さ』です……一方的な正義を振りかざし、議論を封じ込める態度は、保守とは決して言えません」と、「文藝春秋」4月号に寄稿した論考「女性差別反対はサヨク」で述べている。

 「寛容」を保守の本質と見るのは間違いではない。しかし、寛容も大切だが、それよりも何を守ろうとしているのかが、保守派の政治家に問われているのであって、原則を示さない寛容の強調は、聞こえの良い選挙向けリップサービスのように聞こえる。

 筆者は、具体的な事案で保守かリベラルかを見分けるテーマは、家族政策だと思っている。一夫一婦を核とした伝統的な家族を守るのか、それとも個人(権利・義務の主体)の集合体としての家族に変えようとするのか、の違いである。

 この観点からすると、今、自民党で議論されている選択的夫婦別姓(以下、夫婦別姓)の是非は、口先の保守から真の保守を見分ける格好の材料となっている。現行の民法は夫婦同姓を規定し、生まれた子供も同じ姓になる。

 夫婦別姓は、夫婦同姓も選択できるが、夫婦が望む場合は姓を変えずに結婚前の姓を称することができる制度だ。自民党は2010年の参議院選挙で、夫婦別姓導入反対を打ち出している。また、直近の衆参選挙では、姓を変えることで、仕事などにデメリットが生じる人を考えて、旧姓使用の範囲拡大を訴えた。

 ところが、同党衆院議員、鈴木馨祐(けいすけ)のように「国が家族の在り方や価値観に介入したり、姓や家族の形を法律や制度で決めたりすることに違和感がある。個人の気持ちが基本的に一番尊重されるべきで、実際に困るから変えてほしいという人がいる以上は、しっかり受け止めなければならない」と、夫婦別姓推進を訴える議員もいる(本紙5月5日付)。

 家族について法律や制度で決めないという考え方は、リベラルを超えてリバタリアンかアナーキーに通じる発想だが、自民党は保守政党で、寛容で度量のある政党だから、党の方針とは違う意見も認めるというのでは有権者を侮ってはいないか。百歩譲って、そのような議員が少しいるくらいなら許容範囲かもしれないが、選挙を控えて状況は違っているようだ。

 保守系の月刊誌「正論」6月号は、夫婦別姓導入に警鐘を鳴らす特集「やるべきことは『夫婦別姓』か?」を組んだ。その中で、同党の衆院議員、高市早苗は「今年は衆議院選挙が挙行される年でもあり、『夫婦別氏制度の導入に反対だ』とは言いにくい世の中の空気になってしまってはいるが、自民党はまずは直近の『選挙公約』を完全に実現することに注力するべきだ」(「『夫婦親子別氏戸籍』より自民党は公約実現を」)と、推進派に釘(くぎ)を刺している(民法では、「氏」が使われているが、この論考では引用以外は一般的に使われる姓を使用する)。

 「正論」の特集には高市の論考をはじめ、高橋史朗(麗澤大学大学院特任教授)の「本当に7割が賛成したのか」、池谷和子(長崎大学准教授)の「危惧される子供への悪影響」、平野まつじ(ジャーナリスト)の「導入すればこれだけの混乱」の論考4本が掲載されている。夫婦別姓導入に対する反対理由がおおむね集約されており、読者に一読を勧めたい特集である。

 夫婦同姓については、結婚によって姓を変えるのはほとんどが女性であることから、リベラルなメディアによって、女性差別や女性活躍を妨げる代表的な制度として印象付けられている。従って、「『夫婦別氏制度』の導入に賛成する政治家は『改革派=善』、反対する政治家は『守旧派=悪』といったレッテル貼りがなされているように感じている」と、高市が指摘するような状況が生まれている。

 選挙を控えた政治家なら、メディアから「善」のお墨付きを得たいと思うのは当然にしても、「困っている女性がいるから」と、夫婦同姓から別姓に制度を変えることの本質的な意味を見ないで賛成するのは短絡的過ぎよう。

 しかも、高市によると、自民党議員に賛成理由を聞くと、「誰でも国会議員と同じように通称使用ができるようになるんだから良い政策だと思うよ」と答えたという。そこで、夫婦別姓は戸籍まで別姓になる制度だと説明すると、そういう話なら「反対だ」と言われるのだという。国会議員でさえ、この程度の認識なのだから、国民の間にはかなり誤解が行き渡っている、と推測できる。

 「正論」の論考を読んでまず感ずるのは、「子の利益」という視点を入れて夫婦別姓問題を考え直すと、推進派=善という、メディアによって作られた構図が一変することだ。高市は「私が『夫婦別氏制度』の導入に反対を続けてきた最大の理由は、『子の氏の安定性』が損なわれる可能性があるからだ」という。

 夫婦同姓では、子の姓も必然的に親と同じになるから問題は起きない。しかし、制度が変わって姓を選択できるようになると、それが争いの種になる懸念があるのだ。つまり、夫婦別姓の場合、子の姓は両親の協議によって父または母の姓を称することになるが、その協議で決まらない時はどうするのか。

 現在、国会に提出されている法案では、「協議が調わないときは、家庭裁判所は、協議に代わる審判をすることができる」となっているが、夫婦の協議で決まらないのだから、家裁がどんな審判をしたとしても、夫婦双方が納得することは難しく、家庭に軋轢(あつれき)が生まれてしまうのではないか。それは夫婦にとっても子供にとっても不幸なことだ。つまり、当事者の不利益解消という点にばかりに目が奪われ、子の利益を忘れて議論をしてはならないということだ。

 さらに、池谷は「選択的」夫婦別姓の導入は「完全な」夫婦別姓より、子に与える影響は大きいと指摘する。「子供達は友達との違いに敏感であるから、夫婦別姓を選択した親の子供達は、夫婦同姓家庭の子供達を目撃して、『どうしてうちは違うのだろう』と疎外感を感じるであろうことは想像に難くない」と述べている。

 最後に、本質的な問題点を指摘したい。それは夫婦別姓の導入は、姓の意味を変えてしまうということだ。現在の制度では、両親と子は同じ姓になる仕組みで、姓は「家族の呼称」である。しかし、夫婦別姓は、家族の姓を持たない家族を認めることで、姓は「個人の呼称」になる。つまり、夫婦別姓の根底には個人主義イデオロギーがあり、家族の呼称で象徴される家族単位の社会を大きく変容させてしまうのだ。結局、保守とリベラルは、その是非によって分かれるのである。(敬称略)

 編集委員 森田 清策